――今年のKING OF DDTで優勝してから7.21両国国技館大会までの2ヶ月間は、MAO選手にとって濃密な期間だったように感じます。
MAO:以前とやっていることやスタンスは全く変わらなかったけど、DDTのメインストリートに押し上げられた2ヶ月間でしたね。
MAOのままでいられたのは、上野勇希の存在が大きかった。それに、チャンピオンとしてDDTを引っ張っていく上野勇希を間近でみて、王者の風格をひしひしと感じました。
7.21両国大会の前に、所属しているThe37KAMIINAから“家出”して、敵対していた他のユニットに一時加入したことも、それはそれで楽しかったですね。
――残念ながら7.21両国国技館大会でKO-D無差別級のベルトを手にすることはできませんでしたが、今後、改めてKO-D無差別級タイトルを狙いますか?
MAO:しばらく挑戦しなくていいかなって、思いましたね。両国大会、「メインイベントでお客さんを熱狂させる戦い」ができたので。
タイトル戦には負けたけど、一つ人生の区切りがついた感じでスッキリしたし、これからやりたいこともありますしね。
――試合後に「DDTの最高峰の舞台、人生かけた戦いだった」とコメントしていましたが、MAO選手にとっては重責を担う戦いだったのでしょうか。
MAO:僕は責任を負わない立場だから、のびのびできるんですよ。
要するにDDT UNIVERSALもKO-D無差別級があるから自由にできる。それって責任がない。KO-D無差別級王者は“団体の顔”です。
それは団体の最高峰王座保持者として責任が伴う。僕の場合、団体を引っ張る責任感を持つと、気付かないうちに自分を狭めて窮屈に感じると思います。責任を持たないからこそ自由にやっていましたね。