――それは古谷さんの素敵な人柄に魅了されたからだと思います。だからハンガリーのサントさんも古谷さんに様々なことを教えてくださったのでしょうね。話は変わりますが、カヌーを通して印象に残っているエピソードがあれば教えてください。
古谷:(少し考えて…)東京五輪で日本代表に内定している松下桃太郎選手でいうと、2007年カザフスタンと日本が一騎討ち、1位になった方が「北京五輪出場」という状況で、予選は日本が勝利しました。しかし決勝で0.1秒差、日本が敗れて2008年北京五輪に行けなかった。その時の悔しさ…
しかし、4年後イランで行われたロンドン五輪予選で1位になり雪辱を果たした。あの時、松下選手は嬉しかったと思いますが、同時に私も込み上げてくるものがあった。2012年ロンドン五輪、男子のカヤックでオリンピックに出場できたのは1984年のロス五輪以来28年ぶりの出場だったんです。
そしてアジア大会、1990年から日本はカヌー競技に参加しましたが、1度も金メダルがなかった。それが松下選手は2010年のアジア大会でカヤックシングル200mとカヤックペア200mで金メダル2個を獲得した。それは思い出ですね。
あと高校の教員時代、日常的に朝6時からカヌーは早朝練習を行っていました。そこに電車の始発の関係で参加できない生徒が3〜4名いたので、小松市から隣町の加賀市まで毎朝車で迎えに行きました。
――毎朝、車で迎えに行ったのですか?
古谷:朝5時に起きて迎えに行きました。「練習したい」という生徒の気持ちが嬉しくてね。
雪の日に「今日は来ないよな〜」と思いながら練習場で待機していると、雪が舞い散る中、自転車に乗って生徒が練習場に来るんですよ。その姿を目にした時、本当に嬉しかった。
――最後に古谷さんが考えるカヌースポーツの未来予想図を教えて頂けますか。
古谷:グランピングやキャンプなどアウトドアブームですよね。山を購入して生活する方がいたり自然との調和することを楽しむ人が増えてきました。カヌーは大自然の中でできるスポーツです。東京は都会の中に運河がある。
安全に注意しながら身近なものとしてカヌーを楽しんでもらいたい。レジャーで楽しむ人がいたり、スポーツとして取り組んでみたり。若い人がカヌーを始めると競技として捉えがちですが、形にとらわれずカヌーを楽しんでほしいですね。
<おわり>
古谷利彦(ふるや としひこ)
石川県小松市生まれ。同志社大学在学時にカヌーを始める。
大学卒業後は高校教員となり、地元小松市でカヌー選手の育成に努める。
指導受けた生徒には、東京五輪代表に内定している松下桃太郎選手も。
カヌー指導者として功績が評価され、1993年国際審判の資格を取得。
現在、JOC(日本オリンピック委員会)理事公益社団法人、日本カヌー連盟 専務理事、オリンピックパラリンピック組織委員会 カヌーのスポーツマネージャーを担当。
取材・文・写真/大楽聡詞