【DDTプロレス MAO(中編)】ヨシヒコと怒涛のアメリカツアー、米国で初路上プロレス、そしてヨーロッパ遠征で感じたイギリスマット界の変化

2023年6月25日後楽園、MAO(左)vs平田一喜(中)vsヨシヒコ(右)のDDT EXTREME王座決定戦が行われた

――その7月の5試合は全て、対ヨシヒコ戦だったのですか?

MAO:いや、ヨシヒコとはタッグも組んだし、僕のみのシングルもあった。言うなれば、この2週間はMAOとヨシヒコのアメリカツアーですね。ヨシヒコはロイヤルランブル戦にガンガン参戦していました。

アメリカに行くってアナウンスされると「この日は空いているのか?」って問い合わせがあります。やっぱり団体側も日本からの渡航費は高いから極力出したくないんですよ。でも、アメリカ国内のフライト代は出せるから、「アメリカにいるなら使うよ」っていうところが多い。

それで、ゲーム・チェンジャー・レスリング(Game Changer Wrestling、略称:GCW)で僕とヨシヒコを使ってくれて、GCWの傘下のジャージー・チャンピオンシップ・レスリング(Jersey Championship Wrestling、略称:JCW)と、あとは個人の大会も呼んでもらいました。それで5大会をやり通しました。

――そのあと8月にフィラデルフィアへ行きました。

MAO:それはもう、ほんとに偶然です。実際、7月は西海岸よりもフィラデルフィアにいた期間のほうが長かったんですよ。フィラデルフィアに2週間くらい滞在しました。平日はまるっきりフィラデルフィアのレスラーの家を転々とまわって過ごしていました。

フィラデルフィアの近くに一番治安の悪いカムデンっていう都市があるんです。普通の日本人は立ち入っちゃいけない危険区域。そのとなり街に僕は滞在していたので、毎晩のように怖い思いをしていましたね。

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