【DDTプロレス MAO(前編)】マイク・ベイリーとのイギリス遠征で、自分のストロングポイントを見つけ、現在の「MAOスタイル」が定まった

2020年2月23日後楽園、シングルプレイヤーとしてMAOが覚醒

――2018年7月〜2019年3月までMoonlight Expressは第65代KO-Dタッグ王座に君臨していました。

MAO: 2019年10月、ベイリーも同じ滞在先だったのでMoonlight Expressとしてイギリスに行くことができました。

――10〜12月にかけてのイギリス遠征はいかがでしたか?

MAO:イギリス・スタイルのレスリングも勉強したかったので、向こうでレスリング・スクールに通いました。今のスタイルが完全に定まったのはイギリス遠征からですね。

――2019年ごろ、正直シングルプレイヤーとしてのMAO選手の印象がありませんでした。それが2020年2月後楽園、当時KO-D無差別級王者・田中将斗選手に挑戦した試合を観て「これまでのプロレスの概念をぶっ壊してくれるレスラーが現れた」と個人的にワクワクしました。

MAO:イギリスで「個性が大事なこと」を学びました。海外にポッと知らない日本人が来るわけじゃないですか。地方の大会もたくさん経験しました。その状況で「自分ってものをどうやったらみんなが覚えてくれるかな…」って模索し、イギリスで自分のキャラができましたね。

Moonlight Expressはベイリーとの早い動きが魅力だと思います。しかし、シングルプレイヤーとして「自分には何があるんだろう?」と考えた時、「ちょっと変なプロレスが海外でも通用する」とわかり、自分のストロングポイントを見つけることができたんですよ。

ただ「変な動き」をするにも、ベースが必要です。それでイギリスの独自スタイル「ブリティッシュスタイル」をベースに「変な動き」を作っていきましたね。

――それまでベイリーとMoonlight Expressで活躍していましたが、MAO選手はシングルプレイヤーとして自分にフォーカスしていなかったのでしょうか?

MAO:全然考えていなかったですね。それまで大石真翔さんや(勝俣)瞬馬と「NωA」 という 3人組での活動が多く、完全に「タッグの人」。自分でシングルプレイヤーの自覚がありませんでした。なんなら今でもシングルよりタッグの方が自信ありますね。

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