「コミカル」という概念を女子プロレス界に持ち込んだレスラーGAMI。2013年に引退し、現在は現場監督としてプロレスリングWAVEを支える。女子プロレス界を誰よりも俯瞰してみている彼女は、今何を思い、何を考えているのか。前編はレスラーとしてデビューするまで。

――GAMIさんは、ジャパン女子プロレス(以下 ジャパン女子)でデビュー。ジャパン女子は1986年8月に旗揚げ、選手のリングネームを秋元康さんが付けたり、リング上で少女隊が歌ったり華やかなイメージがありました。その華やかな部分に魅了されて入団したのですか?

GAMI:いや、全日本女子プロレス(以下 全女)落ちたので(苦笑)。当時、全女は身長の規定がありました。だから全女を落ちてジャパン女子でデビューしたレスラーが多いんですよ。

――もともとプロレスに興味を抱いたのは、いつ頃ですか?

GAMI:私はゴリゴリのクラッシュ世代です。実は高校進学が危ぶまれていた時期があり、中学3年の時、親族が「公立高校入学できたら、〇〇を買ってあげる」と。だからモノに釣られて1ヶ月くらいメチャクチャすごい集中力を発揮して高校に合格したんですよ。絶対に誰も受かると思ってなかったと思うけど(笑)。

その中で「ハワイ旅行に連れて行く」という約束もあり、高校1年の冬にハワイに行きました。当時1ドル270円(笑)。ハワイから帰国したのがお正月で面白いテレビがやってなかった。たまたま女子プロレス中継がやっていたんです。それを見て「こんなに細い選手がスタミナもあるし凄いな…」と思って。

その試合はジャパングランプリのライオネス飛鳥vs山崎五紀戦。先日、初めて五紀さんにそのことを話したら「私すごかったでしょ!」を仰ってました。飛鳥さん相手に30分ドローはホンマにすごい(笑)。

――山崎さんはドロップキックのフォームが美しかったですよね。

GAMI:五紀さんは膝を曲げて背面飛び、自分の身長より飛ぶから凄かった。それでその日の夢にプロレスが出てきたんです。内容は忘れたけど(苦笑)。「これは将来、プロレスやるんかな?」と思いましたね。

――当時、何か運動していましたか?

GAMI:ソフトボールをしていました。体力には自信がありましたね。でもあの時期、女子プロレスブームでレスラー志願者もメチャクチャ多かった。

最初に全女のオーディションを受けたのが高校2年の時で、昭和61年のアジャ様がデビューした年。新宿区河田町のフジテレビGスタジオが控え室。この時はトントン拍子で最終審査まで残れたんですよ。

あの時、身長162cm、体重が50kg台。普通のスポーツマン体型。オーディションの隣の席がコンバット豊田さん。あの人は自己アピールでダンベルを上げていました。最近、豊田さんのお店(兵庫県で焼肉屋経営)に行ってオーディションのことを話したら驚いていました(笑)。

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