約12年間の海外勤務、アメリカのプロレスや格闘技を生観戦
――永守さんは銀行時代、海外勤務も経験されていますよね。
永守:海外転勤でシンガポール支店とニューヨーク支店に配属になりました。12年近く海外で過ごしました。シンガポール支店は規制が厳しく、プロレス観戦は年に数回のWWEしかできませんでした。
ただニューヨークの頃は、とにかくROHを毎月観に行きました。ROHは2002年に設立。WWE、TNAに次ぐ第3のプロレス団体として注目されていました。
当時ノア所属の森嶋猛さんがROHヘビー級王者で、毎月アメリカに来ていました。2007年2月から10月までナイジェル・マッギネスに負けるまでチャンピオンでしたね。
――ROH以外、アメリカではどのような団体を観戦しましたか?
永守:WWE、プロレスリング・ゲリラ(PWG)、エボルブとか、とにかく全部観に行きましたね。
ライガーさんが、最初にROHへ参戦したのが2004年11月。その時の会場がニューヨークでも有名な治安の悪い地域で、お客さんに「よくこんな治安の悪いところまで来たな」と褒められたエピソードがあるのです。
その時のライガーさんの相手はブライアン・ダニエルソンでした。2004年頃のROHはCMパンクがトップ。ロウ・キーやサモア・ジョーも活躍していました。とにかく面白くて、いい時代でした。
――その後、ROHは2007年に日本、2008年にカナダ進出しましたね。
永守:あの頃、ニューヨーク郊外に住んでいたので、いろいろな会場に車でプロレスを観に行きました。毎月のようにニュージャージーやコネチカットにもプロレス観戦に遠征しましたね。
今年8月に新日本プロレスのAll Star Jr. Festival U.S.A. 2023フィラデルフィア大会を協賛した時、急遽タイガー服部さんに呼ばれてプレゼンターとしてリングにあがりました。
すると棚橋さんに勝利したアレックス・シェリーが「俺、お前のことを覚えてる。昔、ROHによく来てたよね」と声をかけてくれました。昔ピザとか差し入れしたことを覚えていてくれたのです。彼がROHに出場していたのは2003〜2004年で約20年前。嬉しかったですね(笑)。
フィラデルフィアは、映画「ロッキー」が有名ですが、格闘技が全米で一番盛んな町でもあります。アメリカではアメフトがコンタクトスポーツでは人気が高いですが、フィラデルフィアでコンタクトスポーツと言えばキックボクシングもボクシングもMMAも含め格闘技なんです。
――フィラデルフィアでプロレスや格闘技人気が高いのは、なにか理由があるのでしょうか?
永守:オランダ系アメリカ人が多いからだと言われています。オランダは柔道や空手、キックボクシングが盛んな格闘技大国。K-1で活躍したピーター・アーツやセーム・シュルト、バダ・ハリらがオランダ出身。そういう理由もあると思いますね。
<後編に続く>
永守 貴樹(ながもり たかき)
1971年8月21日生まれ、京都府出身。関東学園大学 経済学部卒。学生時代は柔道でインターハイ出場。1995年に東海銀行(現三菱UFJ銀行)入行。約12年間、アメリカやシンガポールなど海外勤務を経験。2012年にレック株式会社に入社し常務執行役員に。2013年6月代表取締役社長に就任。父はニデック株式会社(旧日本電産)創業者の永守重信会長。
取材・編集/大楽聡詞 文/黒澤浩美
写真提供/レック株式会社