9.10後楽園で遠藤美月引退・アイガー昇華記念大会『打ち上げ花火』が行われる。遠藤選手は1991年ジャパン女子プロレスでデビュー。その後、LLPW入団。2023年9月10日に引退興行を行う。今回、遠藤選手に生い立ちからプロレスデビュー、そして引退前の心境を伺った。
プロレスにハマったのはクラッシュギャルズ
――遠藤選手の生い立ちから教えてください。
遠藤:小さい頃は親から離れられない子供。5歳上の姉とは違い、1人では何にもできないタイプでした。
――小さい頃、なにかスポーツをしていましたか?
遠藤:水泳をしていました。泳ぎ方は父にプールに落とされ、「泳げ!」とスパルタ教育(笑)。
それから「水泳の選手になるんだ」とスイミングスクールに通いました。
その後、小学4年から町にある柔道教室に週2回くらい通いました。結局、1年くらいで辞めましたが、プロレスの受け身で役に立ちましたね。
――ところで遠藤選手がプロレスを知ったのは、いつですか?
遠藤:小学5、6年の頃、姉がテレビで男子プロレスを観ていて、そこから女子プロレスを観るようになりました。クラッシュギャルズが好きで、特にライオネス飛鳥さんのファンでした。
ただプロレスラーになることは考えていませんでした。元々レスラーは決められた人しかなれないと思っていたので。
でもテレビで「新人レスラー募集」の告知が出て「プロレスラーは誰でもなれるんだ!」と。それで中学3年の時、全日本女子プロレスの新人レスラー募集に応募。
でも返事が来なかった…と思っていたら書類選考の合格ハガキを、母が隠していたんです(苦笑)。
――お母さんは中学を卒業した娘を女子プロレス界に行かせたくなかったのですね。
遠藤:その後、高校1年、高校2年とオーディションを受けたけど不合格。高校3年、「これで受からなかったら諦めよう」と。
ただ1989年は全日本女子とジャパン女子プロレスのオーディションが、同じ日の同じ時間帯で掛け持ちができない。かなり悩んでジャパンを受けて合格しました。
――ジャパン女子プロレスは、1986年8月17日後楽園ホールで旗揚げ戦を行いました。当初は秋元康さんプロデュースで「プロレス版おニャン子クラブ」がコンセプトでしたね。
遠藤:私が入門した時、秋元さんはいなかったですね。八王子に寮があって、トレーニングで高尾山に歩いて登りました。でも二上さんの時は走ったらしいです(笑)。
――ありえないですね(苦笑)。
遠藤:スパルタです。その後、新日本プロレスの道場に通い、山本小鉄さんに教わりました。小鉄さんは女性だからといって一切手を抜かない。まさに鬼教官でしたね(笑)。