――キックボクシングのジムに通っていたら、普通⽴ち技の試合に出場するのに、総合格闘技がデビュー戦だったのですね(苦笑)
奥村:よく観にいく⼤会が「スマックガール」で、勝⼿に「試合をするなら スマックしかない」と思い込んでいたんです(苦笑)
それから総合のジム「S-KEEP」に通い始めて、27歳の5⽉にスマックガールで総合格闘家としてプロデビューしました。
その当時、S-KEEPにプロレスラーの⾼岩⻯⼀さんが講師として、時々教えに来られていました。なぜか「⾼岩竜一の⼀番弟⼦」とプロレス雑誌に掲載されたこともありました。
スマックガールは出場する選⼿にキャッチコピーがあり、私は「リトルデスバレー」。プロレスファンの⽅には申し訳ない気持ちでしたね(苦笑)
デビュー後、スマックには間を置かず試合を組んでもらいました。前の試合から期間を3ヶ⽉置かずに。⼥⼦選⼿が少ないという事情もあったと思いますが、誘われたら断らずに出場していましたね。でも負けが続き、「噛ませ⽝」みたいな感じになっていました。
奥村:2006年8⽉DEEP⼥⼦で活躍していた、しなしさとこ選⼿と渡辺久江選⼿がライト級王者決定戦を⾏い、渡辺選⼿が勝利。翌⽉、しなし選⼿の再起戦の相⼿を私が務め、秒殺。名古屋から腕をギブスで吊られて帰って来たこともありました(苦笑)
とにかく試合に沢⼭出場しましたが、勝てずに負けが重なる。そうすると負け癖がついてネガティブな気持ちに落ちこむ。そこで S-KEEP は⼤好きなジムだったけど環境を変えようと決意しました。
当時、住んでいた横浜市⽇吉に「SOUL FIGHTERS JAPAN」という道場ができて、そこに移籍。柔術を⽇系ブラジル⼈の⻘⽊イズマエルさん、キックは元ムエタイ王者のファビアーノ・サイクロンさんが教えてくれました。
ここは常設ジムのため、練習し放題。午前中がプロ選⼿の練習、午後はフィジカルトレーニング、夜は⼀般の会員向けのクラスがある。各分野、実績のある先⽣たちが指導してくれました。ここにいたら強くなれると確信して練習に励んでいる時、東⽇本⼤震災が起きました。
そしてジムは半年間で閉鎖になりました。どんな事情があったか分かりません。ただそのことで格闘技に対するモチベーションは⼀気に落ちましたね。