【DDTプロレス 中村圭吾】~KO-Dタッグ王座を奪取して、DDTの中心にいきたい(前編)

今年1月に1年2か月の長期欠場から完全復帰し、若手リーグ戦「D GENERATIONS CUP(DGC)」に出場。4.9東京・後楽園「April Fool 2023」で先輩 HARASHIMAと組みThe37KAMIINAの「しゅんまお」(MAO&勝俣瞬馬)の持つKO−Dタッグ王座に挑む中村圭吾。2019年10月のデビューから約3年6ヶ月、競争が激しいDDTのリングで中村は今なにを思っているのか。

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空手の道を断念し、憧れのプロレスラーを目指して

――まるスポ初取材です。まずは中村選手の生い立ちからお伺いしたいのですが…

中村:(映画のオープニングのように…)1999年7月10日、中村家の長男として岩手県盛岡市に生まれました。

――中村選手、普通にお願いします(笑)。

中村:普通でいいですか(笑)。僕は岩手県盛岡市生まれ。両親、弟と僕の4人家族。ドラゴンボールや仮面ライダーのヒーローものが好きな子供でした。

幼い頃から運動好き、小学校でサッカーをしていました。小学5年で空手を習い始めて、中学では水泳部に所属。当時、僕の中学校のルールで何かしらの部活に入らないといけなかったんです。

習い事の空手をやりたかったので、楽だと聞いていた水泳部に入りました(笑)。

――高校はレスリングの名門・盛岡工業高校ですよね。空手は高校でやらなかったのですね。

中村:岩手県釜石市の空手強豪校に行きたかったけど、東日本大震災直後でその高校の寮が津波で流されました。盛岡の自宅から片道2時間、毎日通えないと思って断念しました。

実は空手大会の会場で行きたかった釜石の高校とは別の空手部顧問と部員たちに囲まれて勧誘されたんです。

僕は「プロレスラーになると決めたので、盛岡工業高校に進学します」と言ったら鼻で笑われました。「夢みたいなこと言って無理に決まっている」と思われていたみたい(苦笑)。

プロレスラーへの想いがますます強くなって絶対見返してやると。それでレスリング部がある盛岡工業高校に入学して、高校3年間レスリングに励みました。

――盛岡工業高校での学生生活はいかがでしたか?

中村:早朝ランニングや筋トレをしてから授業。授業中は時々居眠りして、放課後レスリング部の練習。日々、このくり返しです。高校3年の時、2017年7月末のインターハイに出場しました。

――そもそも中村選手がプロレスに触れたキッカケはなんですか?

中村:新日本プロレスです。4,5歳の頃、家族で観てどんどんプロレスにハマっていきました。小学1,2年で「プロレスラーになりたい」と思う自分がいましたね。

――影響を受けたレスラーはいましたか?

中村:棚橋弘至選手です。あの頃はプロレス低迷期と言われた時代。放送時間帯もゴールデンタイムから深夜帯に移動。こまめに録画して家族で観ていました。

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