「月刊若手通信」時代、そして長期欠場
――DDTは2010年2月から若手中心の興行「月刊若手通信」を立ち上げました。新日本プロレスや他団体からも若手選手が参戦。ここで平田選手はいろいろな選手と戦っていた印象があります。
平田:そうですね、若手通信時代はいろいろ戦っていましたね。僕は新日本プロレス・高橋ヒロム選手の初勝利の相手。
2011年2月新日本プロレスの若手主体の興行NEVERに初参戦して「初勝利を捧げてしまった男」です(笑)。
あと、2011年は5月の新木場大会で、妻木洋夫選手とタッグを組んで三上恭佑&高橋広夢組と戦いましたし、10月の新木場大会では、バッドラック・ファレ選手(当時はキング・ファレ)とシングルもやっています。試合が組まれたときは泣きたかったですね(笑)。
同年4月に新日本プロレス BEST OF THE SUPER Jr.への出場を賭けたトーナメント「NEVER.6~ROAD TO THE SUPER Jr. 2DAYS TOURNAMENT~」にも参加していました。なんか謎にいろいろやっていましたね。
――その後2012年になって、前十字靭帯を損傷されましたね?
平田:そうです。その当時、左膝の前十字靭帯と後十字靭帯の両方切れたままの状態でやっていたんです。
左膝をかばっていた影響で右膝も悪くなり、試合中に右の前十字靭帯も断裂し両膝の靭帯が切れてしまった。さすがに手術しましたね。
――復帰まで1年以上と長い期間休業しましたが、心が折れることはなかったですか?
平田:プロレスラーになったので、「ゆっくり復帰しても大丈夫かな」と心に余裕がありました。
その時、手術でふざけたエピソードがあって…
僕「両膝いっぺんに手術したいんですけど」
先生A「まあ、両膝手術する人もいますねぇ(軽いノリ)」
〜両膝手術無事完了〜
先生B「退院ですか。膝の調子どうですか?」
僕「おかげさまで良くなりました」
先生B「両膝同時手術は病院始まって以来だったから経過が気になって…」
僕「おいおいおい…(汗)」
「やったことあるんじゃないの?」みたいな感じで。初の手術だと言われて「とんでもないことをした」と焦りました(笑)。
普通は、片膝手術して2カ月くらい経って使えるようになったら逆の足を手術。だから松葉杖を使って歩けるんです。
でも僕の場合、完全に車椅子で。車椅子からベッドへの移動もできなかった。本来は、両膝同時手術はしないそうです。
<後編に続く>
<インフォメーション>
3.21後楽園ホール「Judgement2023〜後楽園史上最長5時間スペシャル〜」で「デビュー13周年記念試合」を行う平田一喜選手。ヨシヒコ選手とタッグを結成し、石井慧介&高尾蒼馬組と対戦します。詳細はDDTプロレスリングWEBサイトをご覧ください
取材・文/大楽聡詞 編集/黒澤浩美
取材協力・写真提供/DDTプロレスリング