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練習生としてドラゴンゲート入門、退団。そしてDDT入団
――プロレスラーになろうと思ったのはいつですか?
平田:その友達の家でプロレスを観た時、漠然とですが「プロレスラーっていいなぁ」と思っていました。
高校3年の進路決めの時に、「普通の人と違う道に行きたいな」と思ってプロレスラーを目指そうと決めました。それで専門学校卒業と同時にDRAGON GATE(ドラゴンゲート)に履歴書を送りました。
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――最初はドラゴンゲートなのですね?
平田:そうです。色々な団体の中で、まず高身長が条件のところは無理なので身長制限のないDDTとドラゴンゲートのどっちにしようかな、と。
当時、ドラゴンゲートは学校方式と聞いたので、「学校のように教えてもらえるんだったら…」と思いドラゴンゲートに履歴書送りました。
――どのくらいの期間、神戸のドラゴンゲート道場で練習生として過ごしましたか?
平田:練習生としては1年3,4か月くらい。入門してすぐ後十字靭帯を切ってしまったんです。
1か月くらい練習を休んで、練習を再開すると骨がずれるんですよ。それで、また怪我しちゃって。
その時は気づかなかったけど、後々検査したら前十字靭帯も切れていて膝がグラグラの状態。階段を降りる時、膝が外れることもありました。それでも練習生を続けてエキシビジョンマッチは出ましたね。
――その膝でエキシビジョンマッチに出場したのでしょうか?
平田:はい、その膝で出てました(笑)。ただ「この膝もう限界だな」と思ってドラゴンゲートをいったん辞めました。