【スケートボード 永原 悠路(ながはら ゆうろ)前編】スケートボードは自分に勝つか勝たないかの競技。メダルはあとから付いてくる

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スケートボードを競技として認識。そして2021年大腿骨を骨折

――永原選手は、いつ頃からスケートボードを競技として認識するようになったのでしょうか?

永原:世間的にスケートボードを競技として認知され始めたのはオリンピックが開催されてからだと思います。

スケートボードをスポーツとして、そしてスケーターをアスリートとして自覚したのも、オリンピック種目として正式に採用されてから。そこから自分の意識も変わっていった気がします。

――2016年8月に追加種目として発表されてからでしょうか?

永原:本当にそれまでスケートボードは「遊びの道具」でしたね。今でも楽しむ気持ちは変わりません。「究極の遊び」です。

――遊びでもスケートボードは「ケガがつきまとう遊び」ですよね。

永原:そうです。2021年、僕は大腿骨を骨折。スケートボードについて考えた時期もありました。

――ケガをした後、競技を辞めようと思いましたか?

永原:それはないですね(笑)。ケガをしてから3ヶ月で生活に支障がでないレベルに回復、スケートボード完全復帰まで半年かかりました。

――オリンピックを目指すアスリートにとって「半年」は、とてつもなく長い期間だと思います。その期間、メンタル的に落ち込んだりしませんでしたか?

永原:アスリートとして「なんでこんな時にケガをしたんだ…」という思いと、「神様が与えてくれたチャンスだからポジティブに考えよう」という二つの思いがありました。

ただケガをしてしまった以上、プラスに考えるようにしました。やってしまったことを後悔するよりポジティブでいることの方が大切だと。

周りを気にせず、「今できることを一つ一つ積み重ねていこう」と気持ちを切り替えましたね。

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