プロレスリングWAVE所属。デビューして28年、様々なプロレス団体で活躍する宮崎有妃。得意のハードコアだけではなくコミカルな試合も対応し会場にいる全ての観客を笑顔にする。だが彼女はレスラーなら誰もが求めるベルトへの執着がない。タイトルという記録ではなく、観客の記憶に「宮崎有妃」を刻み込む。その彼女に生い立ちからデビュー・海外生活・NEO時代・引退・現役復帰、そして今後の夢を聞いた(全6回)

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NEO女子プロレス解散、引退。そして1日だけのリング復帰

――宮崎選手は2010年12月31日、NEO女子プロレス解散とともに引退しましたね。

宮崎:12月31日まで他団体にも参戦し忙しく過ごしました。そして2日間休みを取り、1月3日から飲食店で働き始めていました。

普通の仕事だと刺激が少なくてつまらなく感じてしまうので新宿2丁目で働きました。食事メインの夜カフェ。夜なのに叫び声が聞こえる街。とにかく毎日が面白かった。そこで約9年間働きましたね。

――宮崎選手は2015年に復帰しました。飲食業で働いている時、満たされていたはずなのに、どうして復帰したのですか?

宮崎:ある日、私が働いているお店にGAMIさんが来て、「各地で興行が行われてマスクマンが1人足りない。1度だけマスクを被って試合してくれへん?」と言われました。「無理です」と断ったら、プロレス好きのお店のオーナーが「久しぶりに試合に出たら?」と後押ししてくれたんです。

ただ4年間体を動かさなかったので怖かった。それで取りあえずWAVEの練習に参加しました。久しぶりに身体を動かすと筋肉痛になるものの、受け身や技は覚えていた。それで練習をして1ヶ月後、試合に出場しました。

WAVEではNEOの頃、後輩だった飯田美花や桜花由美がいて他の選手も気を遣ってくれました。

「先輩が1日だけ参戦したら他の選手は嫌だろうな」と考えていたけど周りの選手が優しかったですし、何よりもプロレスが楽しかった。

私は引退した2010年からプロレスの試合を観たのは一度きり。夏樹☆たいようのスターダム引退試合だけ。もしプロレスを観たら「やりたくなる」から関わりたくなかった。

そして1日だけのプロレス復帰後、いつものように普通の飲食店で働く日々に戻りました。でも「リングに上がった感覚」が忘れられなかった。

1ヶ月後、GAMIさんをご飯に誘い「またプロレスをやりたくなりました」と素直に告白しました。するとGAMIさんは「ええよ、いつ復帰する?」とスケジュール帳を開きました。いやいやそれは早すぎるだろうと(笑)。

――さすがGAMIさんですね(笑)。

宮崎:それからは飲食店で夕方から朝まで働き、合間で練習に行き身体を作りました。

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