宮崎:NEOは北沢と板橋を中心にコツコツ活動し、1年に1回の後楽園大会を大切にしていた。それが年を追うごとに後楽園を2回、それが3回、4回と増えていきました。
小さな団体だから「好き勝手にみんなでプロレスをやろう!他団体の良いところも取り入れて頑張ろう!」と興行を続けていたら、お客さんがついてきてくれました。
後楽園より会場費は安いけど、キャパシティーの大きい川崎市体育館(現在カルッツ川崎)に華やかな照明を設置して大会を開催していたら、女子の中で1番ビッグマッチをやっている団体になっていた。
私たちNEOマシンガンズの入場時にキン肉マンの主題歌を歌う串田アキラさんから曲を歌ってもらったこともあるんです。
――本家の歌手が登場したんですね。
宮崎:それも無償で歌っていただきました。とにかく想定外のことがNEOでは形になりましたね。小さい団体から始まったNEOは、年々規模が大きくなり華やかな世界を見ることができた。
ツートップの井上京子さんと三田英津子さんはブレずに、己のプロレスをリング上で表現しました。
その2人の下で私たち3人がいろいろなことを考えメチャクチャなことをしました。田村はチャンピオンロードを突き進んだ。私はタニーと面白いことを考え、時にはアイドルとも試合をした。
だから2010年12月31日に後楽園ホールで解散する時、田村とタニーと私3人で引退し団体の幕を引くのが1番きれいだと感じたんです。