プロレスリングWAVE所属。デビューして28年、様々なプロレス団体で活躍する宮崎有妃。得意のハードコアだけではなくコミカルな試合も対応し会場にいる全ての観客を笑顔にする。だが彼女はレスラーなら誰もが求めるベルトへの執着がない。タイトルという記録ではなく、観客の記憶に「宮崎有妃」を刻み込む。その彼女に生い立ちからデビュー・海外生活・NEO時代・引退・そして現役復帰、そして今後の夢を聞いた(全6回)

目次

NEO女子プロレス時代

――入団方法は人それぞれですね。

宮崎:その時NEOにいたのが田村欣子、タニーマウス、元気美佐恵。このメンバーが同期で嬉しかったですね。

――NEOでの活動期間は2000〜2010年。この期間に宮崎選手のプロレス人生が詰まっている気がします。2015年から参戦したプロレスリングWAVEでWAVE認定タッグ王座を4回戴冠していますが、パートナーは4回とも違います。NEO時はパートナーのタニーマウスさんと様々なタッグベルトを獲得しましたよね。

宮崎:NEOに入るまで決まったパートナーがいませんでした。チーム名「NEOマシンガンズ」はタニーが大ファンの漫画「キン肉マン」でキン肉マンとテリーマンのタッグ名「ザ・マシンガンズ」に由来しています。

タニー曰く「私がテリーマンで、タニー自身がキン肉マン」らしいんですけど(笑)。

私は普段関節技を使いませんが、テリーマンを意識して彼の必殺技であるテキサス・クローバー・ホールドやカーフ・ブランディングを使いました。

――全日本女子プロレス(以下 全女)のタッグ王座も獲得しました。そのNEO女子プロレスは2010年12月31日に団体が解散。同時に宮崎選手も引退しましたね。

宮崎:引退と団体の解散、どっちが先だったのか忘れましたがタニーと田村が引退することに。

私は当時30歳、「もう引退を考える年齢か」と思い、2011年に再度海外に行こうと考え、海外へのルート作りも進めていました。

「1年くらい海外遠征し日本に戻り他団体に所属して1年で引退。いやいや所属して1年で辞めるのは団体に失礼だ。

そうなると2012年から2年間は戦って…ちょっと待て、私いつまでプロレス続けなくちゃいけないんだ?だったら今辞めよう」と引退を決断しました。

中学生の頃から「20代は好きなことをしよう。30歳になったら本気で将来を考え生きていこう」と考えていた。一般の人は毎日同じところに通って仕事をします。

でもプロレスラーってそういうことが苦手な人が多い。でも私はきっとできる…そう考えて引退することにしました。

2000年旗揚げ当初のNEOは小さい団体でした。周りに全女やアルシオンなど、派手で規模が大きい団体が存在していました。

1 2 3

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

Share me!
  • URLをコピーしました!
目次