――会社から怒られてもCMLL観戦に行ったのですね。
宮崎:なんとなくCMLLの方が性格の良い選手が多かったから、勝手に足がCMLLの会場に向いていました。
そうこうしているうちに帰国期限である1ヶ月半が近づいてきて、私は日本に帰りたくなくてチケットを捨ててしまいました。
それにビザの都合でAAAのテレビマッチには出場できなくなる。そんな時、一人の日本人女性に出会いました。彼女の旦那さんは週末帰ってくるけど平日は不在。「1人で寂しいから」と一緒に住むことに。
彼女は日本のプロレス団体にメキシコ人の売り込みをしていて、私のことも売り込んでくれました。
そしたら白鳥智香子オフィスから「大阪プロレスに上がって欲しい」と連絡があり、フライト代を負担してくれて帰国することができました。
――メチャクチャ運がいいじゃないですか?
宮崎:そうです、私、運がいいんです(笑)。メキシコには半年間滞在しましたね。帰国後、実家の愛知に住み、試合時に東京や大阪に移動しました。
名古屋で格闘技イベント「DEEP」を旗揚げした佐伯繁さんのプロレスラジオに準レギュラーで出演。同時期に原宿でショップ経営しているニグロさんや菊タローさん、ディック東郷さんと知り合いました。
そして「今後、プロレスをやるなら東京に住もう」と再上京。
この頃、毎週水曜日は大阪プロレスに参戦し、毎週日曜日は渋谷club ATOMでのDDTプロレス定期興行に出場していたので収入は安定していました。
2000年3月に、北沢タウンホールでNEO女子プロレスのプレ旗揚げに参加。試合前に売店にいた当時の社長に「NEOに入らない?」と声をかけられ二つ返事で「いいよ」と(笑)。
その日は井上京子さんとシングルマッチ。試合後、「NEOに入らせてください」と言って入団しました(笑)。
<(3)に続く>
<インフォメーション>
2.18(土) 川崎・ディアナ道場で宮崎有妃選手と旧姓・広田さくら選手、狐伯選手の三つ巴戦が行われます!詳しくはプロレスリングWAVE・Webサイトをご確認ください。
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取材・文/大楽聡詞
写真提供/プロレスリングWAVE