日本を離れ、メキシコへ
――その後、リングネームをエチセラから本名に戻しましたね。
宮崎:裁恐軍をやめてJD正規軍に加入したので本名に戻しました。そして横浜にあるJDの寮に。その後、エチセラと名前をつけてくれたメキシコ人ではない別のメキシコ人に「有妃はメキシコに行った方がいいよ」とアドバイスされました。
実は当時、JDを辞めたかった。でも「JWPと同じ過ちは起こしちゃいけない」と思い、JDを離れるために「メキシコに行きたい」と会社に言いました。
そしたらメキシコ団体「CMLL」で試合をするルートを作ってくれました。メキシコにはAAAとCMLLという2つの大きい団体があります。選手は盛り上がっている方の団体に移籍します。
1ヶ月半で帰る予定のチケットを握りメキシコに行ったら、「今AAAの方が盛り上がっている」とメキシコ人の友達が話してくれたのでAAAに行きました。
――えっ、JDが用意した「CMLL」にはいかなかったと(笑)。
宮崎:そうそう。結果的にAAAで良かったけど、昔の私は人の恩を大切にしないやつでした(苦笑)。
私を紹介してくれたメキシコ人はAAAの社長に信頼されていたので、私は初戦でテレビマッチに出場できました。
その試合を観た社長が私を気に入ってくれて、私はテレビマッチにずっと出場することができましたね。
ただフライトチケットの期限1ヶ月半が近づいてくるし、短期間のつもりだったので「やさしいスペイン語」の本も持ってこなかった(笑)。
そんな時、CMLLに上がっていたNOSAWA論外に会いました。彼は開口一番「そんな少ない荷物でメキシコ来て、舐めているの?」と(苦笑)。
その頃のメキシコではメキシコシティで大会を開催する団体は上のクラス、それ以外の地方で大会を行うのは下のクラスと思われていました。でもAAAは地方でビックマッチを行っていた。
メキシコシティではCMLLが大会を開催。私はCMLLに多くの友人がいました。会社は敵対しているCMLLの選手と仲良くするのを良く思わないので私がCMLLを観戦に行くと「また観戦に行っただろう」と怒られました。