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最初は全日本プロレス中継
――そんなバスケ少女の宮崎選手がプロレスに興味を抱いたキッカケは?
宮崎:幼い頃から母親がプロレス好きで夜中に全日本プロレス中継を観ていました。ちょうど三沢光晴さんや川田利明さんらの四天王対決がメインで活躍していた頃。
選手の名前は分からないけど「緑の人(三沢光晴)」「日の丸の人(菊地毅)」と外見で判断して応援してましたね。
あとWOWOWでJWP女子プロレス(以下 JWP)を観て、「女の人もプロレスをやるんだ」と認識しました。
そのころ、愛知県岡崎市で全日本女子プロレスの大会が開催されることはありましたが、地元にJWPは来なかったので会場で直接試合を見たくてもできませんでした。
でも、三重県桑名市にあるナガシマスパーランドでJWP大会が開催されたことがあって、その時、会場で観戦できてメチャクチャ興奮したのを覚えています。
その後、中学卒業後の進路を決めることになりました。私は細かい作業が好きなので美容師になろうと。でもプロレス熱が高まり、「女子プロレスラー」が選択肢の一つになりました。
実は高校に入学してからのバイト先の美容室もすでに決まっていたんです。学校の担任に「レスラーになりたい」と相談したけど、あまり信じて貰えなかった。
中学3年生は夏の大会で部活動を引退します。でも私はレスラーになる体力作りをするため、「部活動を続けさせてほしい」と校長先生に直談判しました。
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――すごい行動力ですね。ただ後輩からすると「やっといなくなったのに戻ってきた迷惑な先輩」ですね(苦笑)。
宮崎:たしかに(笑)。私は後輩と一緒に準備体操やランニングを行い、ボールを使う練習になったら団体から外れ体育館の端っこで黙々と1人で練習してました。