――その「欲がない」岡林少年が変わったのは、いつですか?
岡林:小学6年の時、市大会で別の小学校の4年生に負けたんですよ。それが悔しくて悔しくて。わんぱく相撲は柱の四隅に審判がいます。大会中なのに、審判をしていた親父の隣で泣いていましたね(笑)。
でも、そこから勝負事にこだわるようになり「絶対に負けたくない」という気持ちになりました。
――それは相手が年下だったからですか?
岡林:それもあるし、背も自分より低く細かったんですよ。あの瞬間に全てが変わりました。今思うと彼に感謝ですね。
――その相手、覚えてますか。
岡林:和泉くんです。柔道で高校のインターハイ上位に入ったと聞いています。
――中学や高校時代、高知での思い出はありますか?
岡林:高校時代、関本さんのことを一方的に知ってました。自分の同級生で明徳義塾に通っていた友達から「食堂で一番メシを食う人がいる」と情報が入ってきました。
――それが関本選手ですか?
岡林:そうです。明徳義塾の何百人もいる生徒の中で1番メシを食ってたみたいです(笑)。
自分は高校でウェイトリフティング部。友達が「食堂で1番メシを食って、ベンチプレス140kgを持ち上げる野球部員がいる」と教えてくれたんですよ。当時、関本さんは「さんちゃん」と呼ぼれていたそうです。
――関本大介選手の名前に「さん」は付いてないですよ?
岡林:人よりご飯を3倍食べるので「さんちゃん」と呼ぼれていたそうです。後輩からは「さん付け」で「3倍さん」と(笑)。
ある日、関本さんがテレビのニュース番組で「明徳義塾を卒業してプロレスラーになる」と特集されていました。それを見て「友達が言ってた『3倍さん』や」と思って(笑)。
――いろいろと面白いお話ありがとうございます。最後に凱旋興行に向けて意気込みをお願いします。
岡林:今年コロナで、世界中の人が我慢を強いられる状況の中、有難いことに周りの方がの協力もあり地元で大会を開催できることになりました。
ベルトも持ち帰ることができるので、地元の皆さんには岡林裕二のチャンピオンとしての姿と大日本プロレスを観ていただき元気になってもらえたら嬉しいですね。
<インフォメーション>
12月13日(日)高知・セリーズ体育館にて「岡林裕二 凱旋興行 ピッサリ!! 復活祭」を行う大日本プロレス。岡林選手はメインイベントで関本選手と組み、橋本大地選手らと戦います。詳細はこちらをご確認下さい。
取材・文/大楽聡詞
写真提供/大日本プロレス