「マイナスからのスタートでした」一人で運営会社を立ち上げ
川崎代表とブレイバーズとの出会いは約10年前に遡る。代表の息子が地元の少年野球チームに所属しており、球団の野球教室でお世話になったことがきっかけだった。その後も野球教室や地元の活動で球団とは度々顔を合わせるなど長く続く関係となった。
球団経営に携わるようになったのは約5年前。当時、川崎代表は大阪で広告代理店の営業として勤めていた。
球団の財政状況などは聞いており、少しでも力になりたいと考えた川崎代表は、球団の協賛営業を受託することにした。広告代理店に勤めながらの活動で”2足の草鞋”を履くことになった。
2年ほど続けていた一昨年、両立することに限界を感じた川崎代表は、「魅力ある企画だと思ったので」と球団の業務に専念する決断をし、24年以上勤めた広告代理店を退職した。
しかし、そこに待ち受けていたのは茨の道であった。かねてから球団の経営状況が芳しくなかったのもあり、まずは球団の専属広告代理店として川崎代表が一人で別法人を立ち上げた。
その一方で、数ヶ月後更なる試練が襲う。球団の運営会社が解散することになってしまったのだ。それでも球団のためにと一念発起した矢先の出来事で後戻りはできない。早くも解散危機に直面した川崎代表はなんとその負債を受け、球団の運営を一人で行うことになった。
「僕はゼロどころかマイナスからスタートでしたね…どうしようかと思ったのですが、ご支援いただいている方たちもたくさんいらっしゃいますし、何より選手たちもいますので、まずは融資などを活用してやってみようと思いましたね」
球団への熱意や退路を断って挑戦した意地、そして何より支援者や選手たちへの想いが川崎代表を奮い立たせた。さまざまな感情が錯綜しながらも一つ一つ階段を登って行った。
「ネガティブな話ばかりではなく、球団を運営する機会なんてそうは無いですし、地域の皆さま始め、たくさんの方に応援していただいてこの活動が成り立ってるもんですから、地域と野球を結びつけるこの仕事にとても魅力を感じていますので、ここまで頑張って来れました」