「心・技・体のうち”心” が最も重要と考えています」元中日・吉見一起 エースにつながるマウンドでの心構えと飛躍のきっかけ

かつて中日ドラゴンズの投手として、落合博満監督時代の黄金期後半をエースとして牽引した吉見一起氏。
20年に引退後は解説者やYouTube、そしてコーチ業などさまざまなフィールドで活躍するとともに、引退後所属している日本プロ野球OBクラブでもオンライン・リアル問わずファンとの交流を積極的に行っている。
今回はプロ野球OBクラブ協力のもと、吉見氏の現役生活を2編にわたり振り返る。本編は、プロ入り時からタイトルを総ナメにした11年編をお送りする。
(取材協力:日本プロ野球OBクラブ、写真/文:白石怜平、以降敬称略)

最も重要なのは”心”マウンドでの意識の持ち方

吉見はトヨタ自動車から05年のドラフト希望枠で中日ドラゴンズに入団した。ただ、当時は落合博満監督時代の3年目を迎えようとしたタイミング。

「正直、ドラゴンズに入りたくなかったんですよ(笑)。12球団一投手陣のレベルが高いだろうと。そこに割って入る自信は正直なかったです」

それもそのはず。当時のドラゴンズはエースの川上憲伸、ベテランの山本昌、抑えには岩瀬仁紀など投手力は12球団でもトップクラスだった。

社会人No.1右腕と評された男であってもその中に割って入ることは容易ではないことは本人が重々承知していた。12球団一厳しい競争の中で始まったプロ生活。まず目の前の目標として、2軍で結果を出すことを第一に考えた。

「まずは2軍で結果を残さないと1軍には上がれない。何試合と積み重ねていくと必要なことが見えてきました。僕の中では、心・技・体のうち”心”が一番大事と思っています。

OBクラブ主催のオンラインサイン会「~Autograph Collection~」でファンと語った吉見

根はネガティブな方ですが、『ピンチは嫌だな』『打たれたらどうしよう』と思いながらマウンドで投げるのと、自分の中で整理して投げるのとは全然結果が違った。それを体験して、常にそういう考え方で臨むことが必要だと考えるようになったんです」

これらを実践した結果、1年目はウエスタン・リーグで17試合に登板し防御率2.91、翌07年も14試合に登板し防御率2.92と安定感を見せた。06年の日本シリーズでは、新人ながら登板を果たすなど1軍への階段を徐々に登っていった。

「もちろんうまくいかないこともあるわけですが、そんな中でもどうリセットできるかが大事と思っていました。考えることも大事ですけれども、やりすぎないことも必要と感じながらやっていましたね」

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