――レスラーとして順風満帆のように見えましたが2010年末にK-DOJOを退団しました。
大石:膝も悪かったし、レスラーとして「もっといろいろな景色が見たい」という欲が出てきた。そこからはDDTに参戦していました。
――2011年9月にDDTに入団しています。どういった経緯があったのでしょうか?
大石:その頃DDTは大鷲透さんが長期欠場、マッスル坂井さんが家業を継ぐために引退、高木三四郎さんがユニオン移籍でレスラーがいなかった。人を通じて「DDTに上がってくれない?」と打診がありました。僕も上がるリングを探していた。それでDDTに参戦したら男色ディーノが良くしてくれたんですよ。K-DOJOに所属している頃からディーノとは同年代で面識もありました。
【DDTプロレス 男色ディーノ】DDTの本流vsプロレスの本道!
――それまでの大石選手は若手イケメンレスラーとして活躍していました。DDTで活動するようになりディーノ選手や飯伏幸太選手と「ほもいろクローバーZ」を立ち上げました。真逆すぎて戸惑うファンも多かったのではないでしょうか?
大石:そうですか?僕の中では真逆だと思ってなかったです(笑)
当時、早見あかりさんが在籍時していた「ももいろクローバー」が好きで、そのことをディーノに伝えました。ディーノは「俺の知り合いにも、ももクロにハマっている奴がいる」。
それで「語呂的に『ほもいろクローバー』って面白くない?」と話しました。ちょっとした巡業バスの中での雑談です。
ある時、ディーノから呼び出され「メンバーに飯伏を捕まえたから『ほもクロ』やろう!」と。二つ返事で「最高だな、やろう!」と言いましたね。
ただ2011年8月の後楽園ホールで「ほもクロ結成」を発表したら観客席で笑った人は10名前後。まだ「ももクロ」が世間に浸透する前で「やべぇ、スベった」って思いました(苦笑)。
――今では考えられないですね(苦笑)。その後、勝俣瞬馬選手やMAO選手とアイドルユニット「NωA」も結成しました。
大石:NωA前に勝俣と「KAT-TOO(カトゥー)」を組んでいました。それにディーノが合流して「男方神起(もーほーしんき)」というアイドルユニットができた。すぐに消滅したけど面白かったんですよ(笑)。その頃、プロレス界に「歌って踊るユニット」がなかった。それで会社と相談したら「アイドルユニット」を作ろう。まずは曲を作ろう!と(笑)。
アップアップガールズ(仮)のYU-M エンターテインメント株式会社と付き合いがあり曲を作ってもらいました。そのツテで振付師も紹介してもらいましたね。
それで勝俣と「誰をメンバーにしようか?」と相談し仲間にMAOが加わった。当時35歳でしたがライブとかやらせてもらい本当に楽しかったですね。