――それは確かに嫌かもしれませんね(苦笑)。
大石:大学でサンボ部に入ったら、部員が少なくレスリング部と柔道部と一緒に練習。レスリングの大会が近い時はレスリングの練習、柔道部の試合が近い場合は柔道の練習をしました。
レスリング部の勝村靖夫先生は山口県出身、レスリング業界で名が知れた方でした。勝村先生は「大石、タイガー服部は俺の後輩だ。永田裕志や石澤常光も海外遠征に連れて行った」と。最初は半信半疑でしたが、K-DOJO時代にプエルトリコにタイガー服部さん夫妻が遊びに来ることがあり、勝村先生のことを聞いてみると服部さんの目の色が変わり「えっ、勝村先生のお弟子さんなの?」と言われました。
デビュー後、服部さんにお会いした時「今度メシでも行こう!」と連絡先を教えて頂きましたが、さすがに連絡できなかったですね(苦笑)。それ以外にも大学4年生の時、ミラノコレクションA.T.さんの従兄弟が新入生で入部したりとプロレス関係の方が周りに沢山いました。
――その大石選手が「プロレスラーになろう」と思ったキッカケはなんですか?
大石:大学4年間、仲が良かった友達がいたんです。研究論文も一緒に取り組んでいた友達でプロレスも2人でよく観に行きました。彼以外にも僕の周りにはプロレスファンが多かった。自分が「プロレスラーになる」と言ったら彼らが喜んでくれると思ったんですよね(笑)。
――周りの人たちの笑顔を見たかったのですね。ところでプロレスラーを目指した時、なぜプエルトリコに行ったのですか?
大石:KAIENTAI DOJOがプエルトリコにあったからです。青森にいたのでみちのくプロレスも考えました。でも当時WWEで活躍しているスーパースターTAKAみちのくがプエルトリコで道場を立ち上げたと知った。僕が入るとしたら2期生、先輩が少ないと思った。それで大学を卒業した2日後、プエルトリコに出発しました。