■タレントからプロレスの世界へ
――グラビアを始めたのが10代後半、レスラーとしてデビューしたのが25歳。その間は何をしていたのでしょうか?
まなせ:最初はグラビアの仕事が多かったですね。ただ22歳頃になると露出が高くなってきました。当時は宇宙の星から地球にやって来た小柄な女の子が注目を集める時代。私のように身長が大きい女の子は仕事が少なくなり、露出高めで売り出さなければならなかったのです(苦笑)。
その後、いろいろなことがありグラビアの仕事から距離を置いた時、舞台の仕事が⼊りました。あの頃の私はチャーリーズ・エンジェルが好きで、キャメロン・ディアスのようなアクション⼥優に憧れていました。その時はモデル役だったんですけど、舞台を見てくれたアクトレス・ガールズの坂口代表が声をかけてくれました。
「プロレスを舞台にした映画を作る計画がある。君は大きくてリング映えするからやりませんか?」と。「芝居でプロレスをやる…?」、プロレスのこと全く分からなかったけど、当時はアクション女優になりたかったので「はい、やります」と答えました(苦笑)。
それで役作りのために、スターダムでプロレスの練習を始めました。それが2013年2月。愛川ゆず季さんが引退されたのが2013年4月なので少し前ですね。私は新体操で身体が柔らかかったこともあり、ゆず季さんの必殺技「かかと落とし」がすぐに使えました。
ただ残念なことに映画の話が流れてしまった。それで坂口さんが「プロレスどうする?」と。私は身体を使うならグラビアよりもプロレスの方が楽しいと感じていました。あと映画「ワイルドスピード」にプロレスラーのドウェイン・ジョンソンことロック様が出演していて、坂口さんに「プロレスやったらハリウッド映画に出られるんだよ!」と言われ「プロレスやる!」と。完全に騙されましたね(笑)。
――元々チャーリズ・エンジェルのキャメロン・ディアスに憧れていたのが、ここで繋がりましたね。ということは元々役作りのためにスターダムに練習生として参加。その映画の話が無くなったのでプロレスラーとしてデビューしたのですね。
まなせ:そうなります。デビュー当時は隠していましたけど(苦笑)。ただあの頃は身体が細すぎてケガが多かった。鎖骨を骨折しカバーしながら戦っていると他の箇所にも支障がでましたね。
同期のコグマはプロレスが大好き、運動神経もズバ抜けて良かった。でも私は選手の中で腕立て伏せもできないし三半規管が弱くてマット運動すら苦労しましたね。