新型コロナウイルスの状況下、サイバーエージェント傘下のDDTプロレスリング(以下、DDT)とプロレスリング・ノア(以下、NOAH)、そしてDDTフーズが経営統合し「株式会社Cyber Fight」が設立。代表取締役に就任した高木三四郎社長。その高木社長のルーツに迫る。後編は飲食経営から教育まで。
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――当初、DDTはプロレス業界から黙殺されていたと言うことですが、高木社長が団体として手応えを感じたのは、いつくらいでしょうか?
高木三四郎(以下、高木):2009年に両国国技館大会を行いました。手応えを感じたのは、その時期ですね。この興行はバクチでした。98年にベルファーレで行ったイベントの集客が約4,000人。僕の中で「4,000人なら呼べる!」という根拠のない自信がありました。
両国のキャパは1万人。でも数のマジックがあり、升席が4名がけで1万人になります。ですから、ちょっとキツめの4名ではなく、升席を2名がけにしました。そして四方向のうち、一方向にステージを立てて三方向にすれば5,000人でも満員に見えると考え、興行を行いました。世間に対しては1万人クラスのアリーナへの進出のため、大きな話題になりました。
――団体を大きくすることに頭を巡らす高木社長ですが、プロレスだけではなく飲食業にも進出しています。これはどう言うきっかけがあったのですか?
高木:単純に僕自身が色々なことをやりたいんです。プロレスと飲食の関係は強いものがあって、プロレス観た後は一杯飲みながら語りたいじゃないですか。「プロレスに関係のない飲食店に行くんだったら、自分たちが経営してしまえばいい」と思いスタートしました。
当時は新宿で遊んでいたため、出店するなら新宿にしようと思いました。最初から飲食店は順調でした。選手にとってもセカンドキャリアになります。レスラーは怪我をしてしまったら、普通の仕事ができないので、そういう意味でも飲食業をやって良かったですね。
――以前、NOAHの三沢光晴さんも選手のセカンドキャリアのために飲食店を考えていましたよね。
高木:飲食店を始めた時にNOAHの仲田龍さんから「どうやって運営していますか」と、色々と聞かれました。三沢さんと飲食店を運営したいと話していたみたいですね。
――高木社長は、ビジネスに対する感覚が優れている方だと思うのですが、2015年には、当時武藤敬司さんが社長だった「WRESTLE-1」の最高経営責任者にもなりました。これはどのような経緯があったのですか。
高木:あの話が来る前、一緒にリングに上がる機会がありました。それがきっかけでちょくちょく会っていました。会うたびに「高木くんはいろいろやっているよね」と興味を持ってくれていたようです。
ある時、武藤さんから連絡があり「俺、経営向いてないからさ、高木やってよ」と打診されました。「本当にいいんですか?」と何度何度も確認しました。
僕は他団体の経営が勉強になるのと、メジャーの系譜を受け継ぐ団体に興味がありました。メジャー団体でも、レスラーがどのくらいギャラをもらっているのか、選手同士でも分からないことが多いんですよ。