千葉県市原市で活動する野球クラブチーム「サウザンリーフ市原」。この傘下に女子チーム誕生の動きが加速している。チーム名は「サウザンリーフ・レディース」。今回、そのチームの中心的存在であるピッチャー竹村寧寧選手の生い立ちから野球にかける想いを聞いた。
――小さい頃はどんな子供でしたか?
竹村 寧寧(以下 竹村):私は神奈川出身。家族構成が母1人、上に3人兄がいて下に妹が1人の5人兄妹でした。竹村家では私が最初の女の子。母はブランド品の服を着せて女の子として遊ばせたかったみたいですが、外で男の子と遊び服を泥だらけにする子供でしたね(苦笑)。
――外遊びをするのはお兄さんの影響が大きかったのでしょうか?
竹村:兄の影響は大きいですね。あと母親が活発なので遺伝の影響も大きいと思います。とにかくヤンチャ娘でしたね(笑)。妹もヤンチャ、現在高校1年生で新潟県の開志学園女子硬式野球部に所属しています。
――開志学園は2021年全国高等学校女子硬式野球選抜大会で優勝した名門校ですね。そもそも竹村選手が野球に興味を持ったキッカケはなんですか?
竹村:7歳離れている1番上の兄が野球をしており、その影響です。小さい頃から3番目の兄と観戦していました。小学1年の時、同い年の男の子が「野球を始める」というので一緒に始めました。周りから「遊びのつもりでいいよ」と言われましたが、バットにボールが当たった瞬間「野球を本気でやりたい!」と思いました。
ただ最初の頃は自分の番が来るとバットを持って頑張りましたが、それ以外は四葉のクローバー探しや砂いじりをしていましたね(苦笑)。
――子供の頃は集中力が持続しませんからね(苦笑)。ところで「野球やること」を意識したのはいつ頃でしょうか?
竹村:小学4年生になり高学年チームに所属してからです。小学生低学年用のオレンジ色のD号ボール(直径:64~65mm)からC級ボール(直径:約68mm)に変わりました。
私の通っていた小学校は3チームあり、他のチームに身長も高くキャプテンでピッチャーをしていた女の人がいました。その子だけには負けないように頑張りました。