【スノーボード 五十嵐幸太】自分がして欲しかったことを選手にしてあげたい(第2回)

――五十嵐さんは2009年に引退されましたね。この理由を伺っても宜しいでしょうか?

五十嵐:数年間、結果が付いてこなかった。2010年にバンクーバーオリンピックもあったので、「2009年の全日本選手権で優勝しよう!」と決めて大会に臨みました。しかし結果は2位、1位になれなかった。当時34歳、若手も育ってきている。「選手としての自分の役目は終わった」と感じました。この大会の後、全日本スキー連盟から「コーチをやらないか?」とオファーをいただきました。これからは自分が培ってきたものをスノーボードの普及や育成に活かし、後輩たちに伝えていくべきだと感じました。

――日本代表選手のコーチは選手と共に世界中を転戦します。ご家族と過ごす時間も限られますよね。

五十嵐:年間120日は海外で過ごします。東京にあるナショナルトレーニングセンターで合宿やミーティング、会議が行われます。自宅の宮城に帰れる日は少ないですね。

――ある競技の日本代表のコーチがコロナ禍で唯一救われたのは「家族と過ごす時間が増えたこと」だと話してくれました。

五十嵐:小学5年と小学2年の娘がいます。小さい頃、久しぶりに帰宅すると「誰、このおじさん」という目で見られてました(苦笑)。一緒に長時間過ごすと「パパ」と認識してくれます。それで遠征に行く前日娘に「パパ、明日からヨーロッパに行くね」と告げると「ママ、パパがヨーロッパに帰るって」と。「帰る?いやいや、この家は私の家だ!」とムキに伝えた記憶があります(笑)。

――子供が小さい時は仕方がないですよね(苦笑)。

五十嵐:長女の11歳の誕生日が先月ありました。実は生まれた日も含めてこれまで1度も一緒にいた誕生日がなかったんです。でも今回コロナ禍で北京前の最終合宿を国内にしたこともあり奇跡的に誕生日を初めて過ごせました。それは個人的に嬉しかったですね(笑)。

――それはきっと娘さんも嬉しいですよ。ところで現在の肩書きが「全日本スキー連盟ヘッドコーチ」ですがどのようなことをするのですか?

五十嵐:チーム運営、マネジメント、選手の技術的な指導を含めてなんでもやります。

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