――19歳までスキーをしていた五十嵐さんがスノーボードの虜になったキッカケはなんですか?
五十嵐:当時19歳の日本人スキー選手の中でレベルは高い方ではありませんでした。「ただスキーが好き」なだけでしたね。
でも初めてスノーボードを乗った瞬間、身体に電流が走ったんですよ。スキーを履いた時には味わえなかった感覚。「1番になれる」と勝手に思いました。続けていくうちに上手いスノーボーダーが沢山いることを知りましたけど(苦笑)。
それにスノーボードとの出会いは、「新しい世界を切り拓いていくワクワク感」がありました。だから「これだ」と確信し没頭しましたね。
――新たなことへの挑戦は何歳になってもワクワクしますよね。特にこれまでなかった新しい競技ならなおさらです。
五十嵐:でも社会的にスノーボード自体があまり良く思われてなかったですね。スノーボードが禁止されているゲレンデもありました。元々スキーをやっていたので気持ちは理解できます(苦笑)。
自分一人の力では何もできないことをたくさん経験しました。それでも頑張れたのは「スノーボードという新しいスポーツの魅力を伝えなければいけない」という想いからですね。
――シーズンを重ねる毎にスキーショップのスノーボードコーナーの割合が増えていきました。すごい勢いでスノーボード人口が増えたように感じます。
五十嵐:でも最初の頃はいろいろと苦労がありました。そんな時に頼りにしたのが「MS サーフ」というショップでした。現在は閉店してしまいましたが、仲の良い7,8名のチームメイトがいて、毎週のように一緒に滑るのが楽しかった。楽しみながら上手くなっていった記憶しかないですね。その頃のチームメイトとは今でもやり取りしていますよ。
2001年からヨネックスさんのサポートを受けるようになりました。このチームヨネックスのメンバーが日本全国にいたんですよ。国内の練習場所も地元仙台ではなく長野や新潟で練習することが多くなり、チームヨネックスのメンバーと過ごすことが多くなりました。
2003年ごろから海外に行き始めました。あの頃は2006年のトリノオリンピックを目指して活動していたのです。
そして2005年にナショナルチームに入り、そのメンバーと世界を転戦し一緒に過ごすことが多くなった。世界に行くようになって「想定外の苦労」をしました(笑)。
<第2回に続く>
五十嵐幸太 / イガラシ コウタ 宮城県出身
日本選手団 スノーボード/スノーボードクロスチーム ヘッドコーチ
実績
2001年 JSBA東北地区大会 SX 優勝
2006年 FIS ニュージーランド選手権 SX優勝
2007年 FIS 世界選手権 SX日本代表
2009年現役引退後、全日本スキー連盟コーチに就任。
取材・文/吉崎雅美
編集/大楽 聡詞
写真提供/五十嵐幸太