――パラカヌーのコーチは今後も継続でしょうか?
今井:これは年度ごとの契約なので分かりません。どこの団体も東京2020が終わって次に向けて体制作りをしているところです。体制作りができた上で、自分はどの立場で協力できるのかを考えたいと思います。コーチとは別に日本障害者カヌー協会認定の国内のクラス分け委員としても携わっています。
――頭が下がります(苦笑)。ところで今井さんがコーチになるキッカケはなんでしたか?
今井:高校を卒業してアルバイトしたのがスポーツクラブだったことがキッカケですね。カヌーは高校の時に始めました。
香川県立高瀬高等学校で、当時カヌーで全国高校選手権大会(現インターハイ)や国民体育大会の全国大会を何度も制覇していた強豪校でした。
私は高校一年の夏、学年別全国大会で優勝しましたが、その冬に椎間板ヘルニアになり、怪我に悩まされました。しかし20~30年前は学校の部活動で怪我をした生徒に顧問の先生が寄り添うようなことは多くなかったんです。
――たしかにそういう時代でしたよね(苦笑)。僕も怪我して部活を休んだら、「サボりたいだけで仮病じゃないのか?」と言われたことがあります。
今井:「怪我は自己責任」でしたよね。選手は相談する相手がいないので孤独になります。その時、ふと「自分は選手よりサポートする側が合っているのかも」と思いました。
その後、怪我が回復し高校三年の大会に焦点を当てて練習を再開。高校2年生最後の大会で個人4位入賞。「これから自分の状態を上げていけば3年生で目標である1位に手が届く」と思いました。
ところが、久しぶりに病院に行ったら「ヘルニアが悪化しており、競技者は諦めた方がいい」と言われました。「えっ、なんで?」と(苦笑)。でも私は結構気持ちの切り替えが早いんですよね(笑)。それで自分の中で一気に「選手をサポートしたい」という気持ちが強まりました。
――ご自身が怪我をした時、寄り添って貰える環境が少なかった経験からコーチを目指したのですね。
今井:はい、そこで「選手をサポートする側」の大学を目指しましたが、なかなか難しくて浪人。バイトでスイミングスクールのコーチを始めました。それがドンピシャと自分のやりたいことにハマりました。それで大学進学を三日で諦めて、その道に進みました(笑)。