――聞いているだけで目が回りそうな、本当にジェットコースターみたいな人生ですね。野球部や監督付きのマネジャーから、全く畑違いの映像制作業界。そしてまたシダックスに戻り。
梅沢:シダックスに戻った後は、企業や自治体の各種業務や公共サービスなどを受託運営する事業子会社にいて、1年経った後、志太会長の元に呼ばれました。 行政、政治、地域活性化など、志太会長が手掛ける様々な社会貢献事業に携わり、現在は秘書をしています。
――野村さんとか志太さんとか、これだけの大御所に呼ばれる梅沢さんって、何か持っているんですか??
梅沢:何も持ってないですよ(笑)。
――ところで梅沢さんにとって野村克也さんはどんな存在でしたか?
梅沢:一言で言えばお父さんみたいな存在ですね。野村監督は私の父の2つ下。父親と年代が近いこともありました。女性との接し方とかも教わりましたね(笑)。
――野村さんと記憶に残るエピソードはありますか?
梅沢:烈火の如く怒られたことがあります。監督は付き合いで銀座のクラブにたまに行っていました。私は運転手としてお連れするのですが、「お前も来い」といって何度かご一緒させて頂いたことがありました。監督は元々お酒が飲めず、銀座では烏龍茶。私も運転なので烏龍茶。日本一高価な烏龍茶ですよね(笑)。私が監督に付いて2年目だったか、監督に慣れてきた頃、やらかしてしまって。ちょっとだけ集中力が途切れ、女性と談笑してしまったんですよ。
そうしたら翌日の朝、グラウンドに向かう車内で「昨日、女の子と何を話していた! 銀座はお前が遊ぶようなところではないんだ!」と怒鳴られて。私は以前、先輩から銀座で御馳走になったことがあり、「オレはあのとき、どのくらい散財かけてしまったのだろう?」と気になっていました。それで「銀座っていくらくらいで飲めるの?」と聞いただけだったんです(苦笑)。それを監督は「梅沢が銀座で遊ぼうとしている」と思ったのでしょう。監督の凄いところは、私を怒鳴りつける前に、その女性に「梅沢と何の話しをしていたのか?」取材していたこと。店から帰る車中では、私に何も聞いてこなかった。