【シダックス 梅沢直充】野村さんがきてチームに「好循環現象」が生まれた(第二回)

――退院しても、すぐに職場復帰できないですよね。

梅沢:いえ、すぐに復帰しましたよ(苦笑)。会社も「トラウマになってレジに立てないのではないか」と心配して手厚くフォローしてくれて、他店での勤務も考えてくれましたが、大和店にそのまま戻りました。

――同じ店舗に復帰したのですか。普通避けると思います(苦笑)。

梅沢:私は大和店のメンバーが大好きだったのでね。チームとして一体感があったし、オペレーションがすでに確立していたから、抜けたくなかった。復帰後も温かく迎え入れてくれて。最高のメンバーでしたよ。その後、6月に町田市の店舗で支配人に昇格し、6ヶ月間勤務しました。このカラオケ店勤務で様々なことを学びました。それまで、マネジャーとして決められた予算内で野球部を運営していればそれで良いと考えていましたが、その予算はお客様から頂いたお金で成り立っているんだ、と。売り上げを立てる難しさ、お客様からお金を頂戴する尊さを知りました。そこで180度考え方が変わりました。

――それで、梅沢さんは改めてマネジャーに復帰されたと。

梅沢:はい。年末年始のピークを乗り越えた1月はじめ、会社から「野球部に戻れ」と辞令がありました。私の後任の選手上がりのマネジャーが1年で辞任し、またもや空白になったんです。そこで経験者である私に再度、白羽の矢が。

――復帰されていかがでしたか?

梅沢:基本的に野球部のやり方は変わっていません。ただ、自分が変わった。決裁が必要なら自分が早めに動けばいい。コスト感覚も身に着いた。本当に現場での1年間の「修行」は大きかったですね。

――復帰後の野球部の成績はどうだったのですか?

梅沢: 復帰した2000年の夏、都市対抗野球大会に出場しました。ただ、その年の秋の社会人野球日本選手権大会から02年の日本選手権まで、都市対抗含め5大会連続でメーン大会に出場できませんでした。

――シダックスは1999年の日本選手権で優勝しています。創部から短期間で右肩上がりに成績を伸ばしてきたのに、その後、勝てなくなった理由は何だったのでしょうか?

梅沢:レギュラーで活躍していた選手の適齢期が、その頃ピークを迎えていました。在籍選手が多くなかったので出場メンバーが固定化していたため、個人の力が落ちればチームとしても必然的に勝てなくなります。新人選手の加入やその育成もうまくいかなかったことも重なり、負のスパイラルに陥った。雰囲気も良くなかったですね。

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