【シダックス 梅沢直充】野村さんがきてチームに「好循環現象」が生まれた(第二回)

1999年日本選手権優勝、2002年に名将・野村克也氏をGM兼監督として迎え入れ翌年に都市対抗野球で準優勝を果たしたシダックス野球部。そのシダックスで野村監督付きマネジャーとして行動を共にした梅沢直充さん。前回は生い立ちからマネジャーになるまでを伺った。今回は野村氏とのエピソードを交えながら仕事内容について。

<第一回はこちら>
――梅沢さんがシダックスに野球部マネジャーとして入社されたのはいつでしょうか?

梅沢 直充(以下 梅沢):1998年4月です。大学でマネジャーをしていたので、入社後すぐに即戦力になりました。いきなり都市対抗野球大会にも出場し、ベスト4に進出しました。

――そして翌年、99年にシダックスは日本選手権で初優勝していますね。順風満帆でマネジャー冥利に尽きたでしょう。

梅沢:いやいや、その年はマネジャーではなくカラオケ店の支配人をしていました(苦笑)。

――は? カラオケ!? それはどうしてですか??

梅沢:シダックス入社時、私は「東都大学野球の名門、日本大学という歴史と伝統ある野球部のマネジャーを4年間やっていた」というプライドの塊だったと思うんです。一方、シダックス野球部は創部してまだ数年。創業者である志太勤会長(肩書は当時)の直轄の部門でした。大学時代はマネジャーの裁量でいろんなことが決められたんですが、シダックスは練習試合を組むのもボール一つ購入するのも全て会長のサインが必要。会長は極度に忙しい方ですから、その決裁に時間がかかることもある。内容によっては否決されることもしょっちゅうでした。私はストレスが溜まって野球部長とかなり衝突しました。自分なりに現場のことを思って「こんなことは野球界の非常識ですよ!」と言ったら、野球部長が「うちにはうちのやり方があります」と。入社して一年目から野球バカのクソッ生意気なヤツだったと思いますよ(笑)。それでその年のシーズンオフに「修行してこい」と言い渡され、カラオケ店に異動になりました。そこから急に昼夜逆転の生活が始まるんです(笑)。

――98年4月に野球部に入って、同年11月にカラオケ店の現場勤務になったんですね。順風満帆とは失礼しました。波乱万丈ではないですか…

梅沢:それまでシダックスの選手寮に入っていたけど、実家に戻りました。最初は東京・東久留米市の店舗で1ヶ月間研修。次に調布市で1ヶ月。年が変わって八王子市の新店舗で1ヶ月。その後神奈川エリアに移り、横浜市で2ヶ月、大和市で2ヶ月。この大和の現場で暴行を受けました。

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――暴行?何があったのですか?

梅沢:ゴールデンウィークの序盤、4月末だったですかね。アルバイト女性が会計ミスをしました。相手は家族連れ、4時間の滞在。最初の2時間だけ飲み放題のオーダーでしたが、4時間飲み放題で会計してしまいました。客から指摘を受けてやり直したけど、混乱して何度も打ち間違い。当時私は副支配人で、異変に気づいてレジを代わった時、家族連れの父の怒りが爆発し、フロントに並べてあったタンバリンが投げつけられ、ボコボコに殴られました。警察沙汰になり、私は膵臓打撲、肝臓打撲、肝機能障害で1週間入院しました。

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