ーー川崎球場大会は冬木さんの引退セレモニーが行われ、WEW旗揚げ戦が行われています。
新宿鮫:WMFに俺は魅力を感じていて、行きたいなという気持ちはあったんですよ。でも、ここまで来て冬木さんに何にも言っていないというのがどうも引っかかていて…。
それである日に冬木さんから「あんた、あっち(WMF)にいくんでしょ?」と言われたんですよ。そこでさらに悩んじゃって…。やっぱり、向こうには行けないし、残るべきなのかなと。怨霊なんてどっちに行けばいいのか悩んじゃって、「俺、プロレス辞めます」って泣いてたんですよ。
俺と怨霊はどっちにも思い入れもあったんです。それで金の字に「俺、冬木さんに残るって言ったら喜ぶかな」と相談したら、「ボス、喜びますよ」と言ってくれて…。それで冬木さんに「俺、向こうに行くのを辞めます」と言うと、ニッコリと笑ってくれて。
冬木さんの笑顔を見た時に、「これでよかったな…」と思いました。やっぱりもっと冬木さんと一緒にやりたかったんですよ。
ーー怨霊さんはWMFに行かれたんですよね。
新宿鮫:そうですね。なんであっちに行ったのかはわからないですけど、だからといって彼は彼で悩み抜いたうえでその決断をしたと思います。だから俺は冬木さんには本当にお世話になって、WEWに行ってもFMW時代のジゴロ路線をやらせてもらったし。
ーーWEWでもエンターテインメントプロレスをやってましたね。
新宿鮫:ボクササイズの先生を呼んだりとか、ほしのあきが出てきたりとか。冬木さんは俺のジゴロ路線が好きだったのかもしれないですね(笑)。
ーーFMWの荒井社長に続いて、訃報が続きます。2003年3月にガンで42歳の若さで逝去されます。冬木さんの死はどのように受け止めましたか?
新宿鮫:ガンってすぐには死なないじゃないですか。だから覚悟はできるし、一日でも長く生きてほしいですけど、本当に助かるのかな、助かってほしいと思っていました。冬木さん、ガンになっても全然痩せないんですよね。だから、「この人、本当にガンなのかな」と思っていました。
ーーちなみに冬木さんの訃報はどこでお知りになったのですか?
新宿鮫:実は亡くなった日にお見舞いに行ってたんです。もうまずいなという感じで容体が悪化していて。冬木さん、ベッドで寝ていても無意識で動いちゃう時があって、力が強いから自身についている機材とか抜いちゃうんですよ。
病院関係者では抑えられないので、みんな交代で見てたんです。それで俺が行った時に冬木さんが変な息をし始めて、ナースコールを押して先生を呼んだんですよ。その数時間後ぐらいですね、亡くなったんですよ。