ーー自分が修斗とやってやろうという気持ちはありましたか?
新宿鮫:いやぁ、あのね。プロレス入ってから腕をひねられたりするのが嫌だったんです。ガチのスパーリングみたいな。あれが嫌であり、怖かった。別に殴り合いだけだったらやってもいいけど、寝技の経験がなかったので。
ーー確かに彼らと闘うのなら寝技や関節技に対応しないといけないですよね…。ちなみに新格闘プロレスでは1994年11月に松阪市総合体育館で全試合を「有刺鉄線金網デスマッチ」で行う特別興行を開催しています。新宿鮫さんも参加されたのですか?
新宿鮫:出ましたね。最初から有刺鉄線の金網が組んでいて、しかも相手が非道(当時、は本名の高山秀男で参戦していた)だったんですよ。あれはあれで初めてやったけど面白かったですよ(笑)。元々、非道と仲が良かったのですよ。新格闘プロレスでは巡業があって、二人でよく酒を飲んでましたね。他の選手はあまり酒を飲まないんですよ。あと大工の仕事もあいつは手伝ってくれました。
ーー非道さんといえば、2021年10月17日に51歳の若さで病気(どのような病気なのかは公表されていない)で逝去されました。非道さんとはどんな方でしたか?
新宿鮫:あいつは酒は好きだけどそんなに強くなくて、よく吐いていたんですよ。いいヤツだったし、頭がいいなと思いましたね。喋ってて「こいつ本とか読んでるな」とか分かったので。
ーー天国の非道さんにメッセージありますか?
新宿鮫:何年か前にあいつの家に行く約束もしてたんだけど結局行けなかった。ずいぶん痩せたとか聞いてたから心配してたけど…もう一度しみじみ飲みたかった。死因とかわからないけど、多分飲み過ぎも一因だろうから、もう何も気にせず好きなだけ飲んで下さい。と言いたいですね。
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取材・文/ジャスト日本
写真/本人提供
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【ジャスト日本】 プロレスやエンタメを中心にさまざまなジャンルの記事を執筆。2019年からなんば紅鶴にて「プロレストーキング・ブルース」を開催するほか、ブログやnoteなどで情報発信を続ける。著書に『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.1』『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.2』『インディペンデント・ブルース』