ーーデビュー戦が、1994年2月18日新格闘プロレス・後楽園ホール大会。本名の大角比呂詩でリングに上がりました。相手は新日本プロレスとの異種格闘技戦にも参戦した誠心会館の空手家・田尻茂一さんでした。実際にプロレスのリングで闘ってみて如何でしたか?

新宿鮫:一番驚いたのは、ロープがビヨーンと伸びると思ったらガチガチに固くてね(笑)。あとは別に何も思わなかったですね。お客さんの前で試合ができて嬉しいとかもなくて、とにかく相手を倒すことしか考えてなくて、お客さんを楽しませようという考えはなかったです。

ーー新格闘プロレスは1994年1月に、新日本プロレスで活躍した誠心会館館長・青柳政司さんが設立。「勝負論の追求」をテーマにして従来のプロレスとは違う「真剣勝負」を謳い文句にして興行を展開しましたが、経営難により10月に自然消滅という形で活動停止に追い込まれます。新格闘プロレスはどんな団体でしたか?

新宿鮫:途中で木村浩一郎(リングス参戦歴やヒクソン・グレイシーと対戦経験があるプロレスラー兼総合格闘家。後にDDTプロレスで強さの象徴として君臨した実力者)が参戦するようになって変わりましたね。浩一郎と青柳館長が闘った試合とか観ていると「なんか楽しくなくなっちゃったな」と。

ーー確かに新格闘プロレスは青柳さんが早々に退団して、木村浩一郎さんの団体のようになりますね。ちなみに新格闘プロレスは修斗と業務提携を結び、公式戦として修斗と対抗戦を行ってますよね。1994年3月11日後楽園ホール大会で木川田潤さんが当時修斗ウェルター級王者の中井祐樹さんに27秒、ヒールホールドで秒殺された時はプロレス雑誌や格闘技雑誌で「プロレスが負けた」「プロレス最強論崩壊」とセンセーショナルに取り上げられましたよね。新宿鮫さんは修斗の存在についてはどのように捉えていましたか?

新宿鮫:修斗はプロレスを利用して恥を掻かせてやろうという感じがひしひしと伝わってきて、なんか違うなと。朝日昇なんかバックヤードで片っぱしからメンチ切りまくってましたから。まだプロレスやるようになって日は浅かったけど、わかるようになってから余計にそう思いました。

ーー確かに朝日昇さんが後に雑誌のインタビューで「この試合で自分がそれまで抱いていたプロレスに対する憧れが無くなってしまった」と発言されているんですよ。

新宿鮫:そうですか。修斗もそれだけ強さに自信があったんだろうし。

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