――2012年にタイに渡りました。当時この話を聞いて「タイってプロレス団体あるの?」と思った記憶があります。
高梨:なかったですね(苦笑)。今でこそ東南アジアにプロレス団体ができていますが、あの頃はちょうどプロレス団体が生まれる時期。さくらさんは嗅覚が鋭い。2012年にアイスリボンを辞めた時、「タイに行ってプロレス団体を旗揚げしようと思う」と。最初冗談だと思いました(苦笑)。
さくらさんは個性的なレスラーで知名度もあります。僕が「国内でフリーでいろんな団体で活躍してはいかがですか?」と提案すると「いろんな団体を一巡したら身体を壊してレスラー人生が終わるだけ。
だったらプロレスのない国でプロレスをやってみたい」と。海外にスポンサーがいると思い聞いていると「何もない」と(笑)。ただ「タイで女子プロレスが放送されていて見ている人がいると話を聞いた。
その人に会いに行く」と言って本当にタイに渡ったのです。その時、さくらさんがタイで会ったのがプミさん、我闘雲舞タイ支部の代表をしていて現在はセットアップという団体をタイでやっています。
ある時、さくらさんから「タイでプロレスを拡めるためにプロモーション映像を作る必要がある。相手が必要なので高梨さん、タイに来て欲しい」と連絡がありました。
面白いけどプロレスをする場所があるのか不安でした。「タイで知り合ったボーウィーさんに話をしてもらい、タイの国技であるムエタイ専用の施設 ルンピニースタジアムで試合ができるようになった」と。
ボーウィーさんとは本名ボーウィーチョーワイクン、UWFインターで桜庭和志選手や高山善廣選手らにキックを教えていた人です。
「プロレスラーとしてルンピニーで試合ができるチャンスはまたとない!」と思い、タイに行ったらルンピニースタジアムが閉まっていました(苦笑)。一応ボーウィーさんの名誉のために言うと、さくらさんとボーウィーさんの間に行き違いがあり、僕が帰国した後に別の場所で試合はできたそうです。
ルンピニースタジアムの周囲を探索すると「ルンピニー公園」がありました。さくらさんは「この公園で試合をするのよ」と(苦笑)。取り敢えずプロモーション映像を作らないとタイの人に理解してもらえない。
でも路上で日本人男女がプロレスしている姿を見せて「これがプロレスです!」と言うのもメチャクチャな話だと思いながら試合をしました。
ルンピニー公園の管理の方に「公園の池にはバカでかいトカゲがいるから気をつけろ」と言われながら試合をして、その映像をYouTubeにあげました。
その後も、タイの至るところでさくらさんと試合をした動画をYouTubeにあげ続けました。するとそれを見た人たちが集まってきたのです。
中には「子供の頃からプロレスを見ていたけどタイにはプロレスがない。でもレスラーに憧れて身体だけは鍛えていた」という子供もいました。本当に嬉しかったですね。それでプロレスを教え始めました。
最初は公園にタイ人を集め、僕ら日本人が指導していました。彼らの純粋な目を見ていると僕も「途中で投げ出す訳にはいかない」と思い、日本とタイを何度か行き来しました。驚くことにタイに行くたび練習生が増えていったんですよ。
その後、タイにある空手道場を間借りできることになり「我闘雲舞のプロレス道場」として使えるようになりました。そこにドンドン人が集まり我闘雲舞が旗揚げしました。