【DDTプロレス 高梨将弘】闘龍門という団体で自分は埋もれてしまう…(第1回)

――面談のみだったのですね(笑)。そこで合格してメキシコに渡るのでしょうか?

高梨:いいえ、4月から闘龍門の神戸道場で半年間練習をしてからメキシコに行きます。そして現地でデビュー。周りがデビューする中、なかなか自分だけデビューできないまま1年が過ぎました。

最初20人以上いた同期も辞めたり夜逃げしたりでメキシコに行く頃には10人前後。ふと「来年、再来年も同じように10人前後のレスラーがメキシコでデビューしたら、闘龍門という団体で自分は埋もれてしまう…」と思いました。

同じ9期生にバラモン兄弟、Kagetora、ラッセ、野橋太郎、石森太二、南野タケシ、卍丸、Ken45°がいました。ずるい話ですが「闘龍門でデビューする前に、他の団体で1から練習生としてスタートした方がいいのではないか」と考えました。

その頃、7期生の大鷲透さんと8期生の近藤修司さんに可愛がって頂きました。辞める時にキチンとお話ししないといけないと思いました。

大鷲さんは大相撲からレスラーになった方で年齢も7歳離れています。その大鷲さんに「今までお世話になりました。

プロレスを辞めようと思います」と挨拶に行った時、全てを見抜かれ「高梨、辞めてすぐに他団体に行くことは業界の仁義に反することだから1年間はバイトなりして過ごせ。そしたら他のプロレス団体を紹介してやる。たまにお前の練習も見てやるから」と。

それで闘龍門を辞めた後、大鷲さんにアニマル浜口ジムでときどき練習を見てもらったりご飯をご馳走になったりしました。僕はその間スポーツジムでインストラクターをしながら働いていました。

1年が過ぎた頃、大鷲さんは闘龍門で同期の大家健さんを紹介してくれました。大家さんは闘龍門を練習生で辞めてDDTに入団しています。

僕と同じ境遇の大家さん、そして大鷲さんと僕3人で会いしました。大家さんから「高木三四郎社長に事情は説明しておく。キチンとテストを受けて入団すればレスラーとしてデビューできるよ」と言われました。それで入団テストを受けて2003年4月DDTに入団しました。
<第2回に続く>

<インフォメーション>
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取材・文/大楽 聡詞
写真提供/DDTプロレスリング

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