――それは何歳くらいでしたか?
高梨:中学生です。小学生の時は漠然とプロレスを見ていました。中学・高校では生活の中心がプロレスでしたね。当時、週刊プロレスと週刊ゴングの発売日が木曜日。
それを朝イチで買いに行きました。今だとネットで試合結果が分かりますが、学生時代はネットがなかった。自分で情報を求めない限り手に入りません。ですからビッグマッチの翌日はスポーツ紙の朝刊を買いに行きました。常にプロレスのことを考えていた気がします。
――高梨選手は千葉県市川市出身。都内のビッグマッチや地元で行われる大会に学生時代から足を運んでいましたか?
高梨:小学生の頃から父に連れられて地元の大会を観戦していました。僕の実家は土建屋なので地元の繋がりが強く、千葉で大会が行われる時にチケットを頂いたりして「プロレスすげぇ〜」と観戦していました。
自分のお小遣いからチケットを購入し観戦するようになったのは高校生から。中学生の時はお金の掛からない新日本プロレスの餅つき大会に参加しましたね(苦笑)。
僕は後楽園ホールが近いからという理由で水道橋にある高校に進学しました。進学の理由を中学の先生や両親に言えませんでしたけど(笑)。
DDTにもU-18チケットという学生割引サービスがありますが、高校時代は毎日のように学生割引を利用して後楽園ホールのバルコニーでプロレス観戦していました。
――学生時代、スポーツ経験がなかった高梨選手がプロレスラーになろうと思ったキッカケは何ですか?
高梨:部活はやっていなくても、ミスター髙橋さんの「プロレスラーになる方法」等、レスラーになるための練習方法が書いてある本を読んで「レスラーってこんなトレーニングをしているんだ〜」と思いながら鍛えていました。もちろんレスラーになる気はなかったです(苦笑)。
ただ高校2年生の時、闘龍門が日本に逆上陸して「闘龍門ジャパン」ができました。そしてプロレスラー養成学校を作り、応募要項に「身長・体重の制限なし」とありました。
高校卒業後の進路を「実家の土建屋にお世話になろうかな〜」と漠然と考えていた時に届いた情報です。あの頃、新日本プロレスや全日本プロレスは身長制限が180cm以上でしたが、インディー団体の選手は180cm以下の選手が増え始めていました。
「これは自分もレスラーになれるのではないか」と思いましたね。そこで高校3年の時、闘龍門のプロレスラー養成学校に応募したんです。
入団テストは1,2月の寒い時期、場所は後楽園ホール。高校にウエイトトレーニングの機材が揃っていたので、それを使って身体作りをしてから闘龍門の入団テストに向かいました。「プロレスラー養成学校」なので身体測定があると思ったら面談のみで戸惑いましたけど(苦笑)。