東京2020パラリンピック カヌースプリント男子ヴァーシングル(VL3)の日本代表。2013年に左足の筋肉にがんが見つかり、手術で太ももを切断。2017年カヌー競技を開始。始めた当初からパラリンピック出場を目標にしていた。その今井選手の人生は「思ったら即行動」の連続。新しいことに挑戦する姿に著者も驚きを覚えた。今回、今井選手のこれまでの人生を3回に分けてお届けする。第1回は少年時代からオーストラリア生活まで。
――幼い頃はどんな子供でしたか?
今井 航一(以下 今井):今もそうですが、基本無口な子供でした(苦笑)。家の中で遊ぶよりは外で遊ぶのが好きでした。生まれは広島。広島といえば広島カープ、サッカーをしている子供より野球をしている子供の方が多かったですね。周りはほとんどがカープファン。僕らの時代は野球に関心が高かった子供が多かった気がします。1人の時は壁にボールをぶつけて遊んでいました。
――地元に野球チームがあると影響力が大きいですね。
今井:今思えばそうだったと思います。
――僕の地元は福島、テレビをつけるとジャイアンツでした(苦笑)
今井:山口の友達も同じことを話していました。「テレビをつけると巨人しか映らない」と(笑)。
――ちなみに学生時代はどのようなスポーツをしていましたか?
今井:小学・中学と剣道をしていました。僕の住んでいる地域はわりと剣道が強く盛んでしたね。小学5年生の頃、僕が中学3年生になった時、地元広島で中学剣道の全国大会が行われることが決まりました。それで中学3年生までずっと剣道をしていました。
中学2年の冬まで強化選手でしたが、練習中に首を痛め怪我をしてから練習や試合に出られなくなり、小学生からの目標であった全国中学の全国大会には補欠参加でした。本当に剣道に熱心な地域で元旦以外364日練習がありましたね(笑)。
――高校では剣道やらなかったのでしょうか?
今井:5年間それだけを目指して練習してきたのに全国大会に出場できなかったので気持ちが途切れてしまいました。でも何か運動はしたいと思い水泳部に所属しました。ただ初日だけしか行っていない幽霊部員でしたね(苦笑)。