――それは周囲に気を遣えるといった部分ですか?
マンモス:そうです。彼は自衛隊出身なんで。でもあいつも損な役回りで、アメリカに行って、ベルト(IWCインターナショナル王座ベ)を取って、ボールズ・マホーニーとシングルマッチで対戦して、勝ったりとか。実績を残して日本に帰ってきたけど、WMF自体が末期だったので…。彼も可哀そうなんですよ。
――個人的に感じていたのですが、ソルジャーさんって玄人好みで選手ウケをするレスラーなのかなと思ってました。
マンモス:ああ…確かにそうかもしれないですね。
――次にお伺いするのが、2001年にFMWでデビューしたハッピー池田さんです。団体最後の新人レスラーとなる彼はFMW崩壊後、WMF旗揚げに参加して、後に本名の池田誠志で活動されました。マンモス選手がWMFを退団された時、一緒に辞めていますよね。
マンモス:コイツに関しては一番可愛がっていたんですよ。FMWがなくなってからずっと一緒に僕の家に住んでいたんですよ。彼の実家が九州なので、簡単に帰るというわけにはいかなかくて、ハヤブサさんに対する思いも強くて、WMF旗揚げに参加したんです。団体が崩壊した当時は給料もなくて、生々しい話ですが消費者金融に借金して生活もしていたんですよ。
そういう状況でも二人で頑張って生きてました。僕がWMFを辞めて一緒にアパッチプロレス軍に行こうと声をかけたのですが、「引退とは言いませんが、これでプロレス界からフェードアウトします」とあいつが言って…。やっぱりもっと伸び伸びとプロレスがやれる環境にあればよかったんですよね…。
――そうなんですか。残念ですね…。
マンモス:あいつは今は大阪の堺にいて、介護関係の仕事に就職して、資格も取って介護施設のえらい人になったんです。マイホームを建てて幸せに暮らしていますよ。
――池田さん、頑張ってらっしゃるんですね。なぜ池田さんについて聞いたのかというと、WMF時代に渋いアメリカンプロレスのような試合をされていて、気になっていたんです。
マンモス:そうなんですよ。あいつが目標にしていたレスラーがアーン・アンダーソンで、本当にプロレスが大好きだったんですよ。だからああいう子達が道場にいてデビューして、育成してあげられなかったのが可哀そうなんです。
――確かにそうですね。ちなみにマンモス選手と山崎直彦さんがデビューした1997年から、ガルーダさん、ソルジャーさん、義人さんがデビューした2000年まで、新人レスラーのデビュー期間が空いているんですよね。
マンモス:その間にも何人か練習生はいたのですが辞めているんですよ。その中にミラノコレクションA.Tもいたんですよ。