――大学卒業後、プロレスラーになりたいという気持ちはありましたか。
本多:自分みたいなものがプロレスラーにはなれない、と思っていました。学プロは楽しくてOBとして続けていましたが、プロレスとは違うと考えていましたね。
――でも坂井選手から声をかけられてDDTの「マッスル」で、プロレスラーとしてリングに上がることになったんですよね?
本多:マッスルは、学プロも含めた「どインディー」を集めたプロレスだったので、自分がやってきた学プロと、そんなに違いは感じませんでした。
――マッスルは実験的なプロレスでしたよね?
本多:初期のマッスルは演劇的な要素がありました。自分は演劇の経験があるのでセリフを言うことは出来ました。ただ気持ち的な部分で学プロの延長で出場したので「プロレスデビュー」とは感じませんでしたね。
――その後、DDTに参戦しますが、どのあたりで「プロレスラー」として目覚めましたか?
本多:当時、ディック東郷選手がDDTに所属していて練習を教えてくれました。それに参加してからです。
学プロ時代は、見よう見まねで技を練習していましたが、初めてキチンとしたプロレスの技術を教わってプロレスラーとしての感覚が芽生えました。
――東郷選手の指導は厳しかったですか?
本多:全然厳しくないです。人間は一人一人違った個性があるので、型にはめるのではなく、「その選手が持っているものを伸ばす」と言うコンセプトで指導してくれました。
とても発想が自由な方ですね。あと面白いことが大好きなんですよ。自分がマッスルに出場している姿を観て、東郷さんがマネージャーに抜擢してくれました。
だから最初、私はDDTにレスラーとしてではなく東郷さんのマネージャーとして参加したんです。