――荒井さんが書かれた「倒産! FMW」(徳間書店)とかを読ませていただくと本来なら高橋英樹さん(当時FMW営業部長)がなるという話があったのですが、高橋さんが断って代わりに荒井さんが社長になったということだったと思います。
マンモス:これは自分も聞いた話ですが、1995年に引退した大仁田さんから社長職を譲る時に声がかかった高橋さんが「俺はやりません」と断って、荒井さんが「やりますよ」ということで、荒井さんがFMW社長になったそうです。荒井さんは「やる」と決めたことは最後までやりきる真面目な人なんですよ。本当にいつも選手ファーストで動いてくれて…。
最後の状況とかも聞きましたけど、荒井さんが持つ天性の人柄の良さを周りの人達が「社長さん」「社長さん」って利用していたんですよ。人から利用されて、ああいう立場にさせられたんだなと。あの人を利用した人はたくさんいますから。
――言葉がないですね…。いい人過ぎたのかもしれないですね。結果的に荒井さんは36歳の若さで亡くなってしまったんですよね。
マンモス:あの頃はいい歳した方だなと感じていたのですが、僕は荒井さんの歳を越えてしまっているんですよね。でも、30代とか会社のすべてを背負わされて、本当に寂しかったと思いますよ…。
――私は荒井昌一さんは社長とかではなく、プロレスに関わるビジネスマンとしては優秀な方だったと思うんですよ。本来ならばいきなり社長ではなく、段階を踏んでから社長になられていたら、もっと評価されていたはずなんですよ。だから荒井が亡くなったことは、プロレス界において大きな損失で、もったいなかったと思います。
マンモス:そうですね。自分達選手のギャラもきちんと出してくれて、そういうところ(消費者金融、闇金)から借りてでも払ってくれたのでしょうね。