――ここ数年の経営難、選手離脱、さらにエース・ハヤブサさんの長期離脱と逆風が吹き荒れたFMWは2002年2月15日に二度目の不渡りを出して倒産し、13年に及ぶ団体の歴史に幕を下しました。FMW崩壊という一報をマンモス選手はどこで知りましたか?

マンモス:僕は2月に総合格闘技の試合に出ることになっていて、出稽古でお世話になっていた和術慧舟會(多くのスター格闘家を輩出してきた総合格闘技道場)の東京道場で知りました。

――マンモス選手は2002年2月22日・後楽園ホールで開催された「THE BEST」(総合格闘技PRIDEの登竜門として誕生したイベント)で韓国のキム・ジョンワンと初のMMAルールで対戦することが決まっていました。試合9日前にFMW崩壊を知ったわけですね。

マンモス:これは言い訳になると思ってあまり語っていないんですが、「お前のところにも借金取りがくるかもしれないから気をつけろよ」という連絡があったんですよ。

――えええ!それはマズいですね!

マンモス:だから団体の件でこれ以上、和術慧舟會の皆さんにご迷惑をおかけしてはいけないので、出稽古には行きにくくなりました。あと僕はFMWを盛り上げるために、明るい話題を提供するために総合格闘技に出場を決意したのに、団体がなくなってしまった。

何のために総合格闘技に出るのだろうかという思いがずっとありました。相撲をかじっているから感じたのかもしれませんが、プロレスと総合格闘技の世界はまるっきり違う世界で、そこで自分が残せるものは少ない。だから最悪引き分け、負けなければいいと思って総合格闘技に挑むつもりだったんです。でもこれじゃ、闘うテーマがないんですよ。

――確かにそうだと思います。

マンモス:作戦も考えていて、試合開始の立ち合いで、相撲のように土俵外に押し出す感じで圧力をかけていこうと思っていたんですけど、すぐに負けちゃったんですよ。(マンモスはキム・ジョンワン戦で1ラウンド25秒フロントチョークで絞められて敗退している)

――マンモス選手は結果的には秒殺されてしまいます。

マンモス:勝っても負けても最初で最後の総合格闘技だと思っていたのですが、モチベーションがない状況だったので、対戦相手のキム・ジョンワンさんにも失礼な気持ちをリングに上がってしまったというのはありますね。

でも試合に向けて二カ月間ほどの練習は楽しくて、宇野薫選手とスパーリングしましたよ!あとスパーリングはしてませんが、高瀬大樹選手や岡見勇信選手とはスパーリングはしていませんが、道場に来られた際にお話もさせていただきました。

総合の練習を積むようになると、周りから「短期間で強くなったよね」と褒められたのが嬉しくて、寝技とかも最後の方は極められなくて、上達できたと自信がついたんです。和術慧舟會の皆さんは本当に暖かく僕を迎え入れてくれました。

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