――そこからハヤブサさんが怪我から復帰されるのですが、2001年10月22日・後楽園ホール大会のメインイベントで、マンモス選手とハヤブサさんが一騎打ちを行いますが、ハヤブサさんがセカンドロープからのムーンサルトを放った際に、頭から落下してピクリと動けなくなり、そのまま試合終了。この一戦でハヤブサさんは頸椎損傷、全身不随という大怪我を負い、事実上の再起不能状態に追い込まれます。
マンモス:はい。
――この時の状況については、以前、単行本「インディペンデント・ブルース」(彩図社)の取材でマンモス選手に語っていただいたのですが、まずこの事故が起こった瞬間はどのように思われたのですか?
マンモス:ちょうど自分がリングで寝ている左側で、ハヤブサさんの事故が起こったんです。見たことがない身体の曲がり方や首の詰まり方をしていたんです。
それであのハヤブサさんが動けないので、これはただ事じゃないと感じましたね。首を怪我されたのはすぐにわかったので、まずハヤブサさんを動かしたらダメだと。それで試合が終わって、場外のマットを担架代わりにして救急車に乗せるまで運んだんですよ。
――ハヤブサさんはマンモス選手との試合が結果的にはラストマッチになりました。今年(2021年)でハヤブサさんの事故が発生してから20年が経ちました。マンモス選手はこの事故について、どのように向き合ってきましたか?
マンモス:そうですね…。あれから、僕に関しては幸いなことにあのような事故が目の前では遭遇していないんですよ。何か起こった時に自分達の力ではなかなか対処できなくて。
GEN(GENTARO)ちゃんが脳梗塞で倒れた時も、控室で保坂さんが様子がおかしいと発見してすぐに救急車を呼んでくれて、入院はされましたけど、回復されて復帰しているんですね。
あれもハヤブサさんの件があったから生きた経験だったのかなと思いますね。だからGENちゃんは保坂さんが亡くなった時は「俺のことを助けてくれた人なのに…」とものすごく悲しんでいましたね。
――ちなみに入院中のハヤブサさんにお見舞いとか行かれたのですか?
マンモス:はい。「何が食べたいですか?」と聞いたら、「マンモ(マンモスの愛称)が作った豚の角煮が食べたい」と。それで道場で作って病室まで持っていったんですよ。ハヤブサさんは「うまい! うまい!」って言ってくれましたね…。
(第2回終了)
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取材・文/ジャスト日本
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【ジャスト日本】 プロレスやエンタメを中心にさまざまなジャンルの記事を執筆。2019年からなんば紅鶴にて「プロレストーキング・ブルース」を開催するほか、ブログやnoteなどで情報発信を続ける。著書に『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.1』『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.2』『インディペンデント・ブルース』