――ちなみに2000年からマンモス選手とタッグを組むようになった保坂さんは、どんなレスラーでしたか?
マンモス:保坂さんは……簡単には言えないですけど、お世話になりました…。ハヤブサさんと初めてシングルマッチで対戦した時に保坂さんがセコンドについてくれて、荒廃の僕をすごくバックアップしてくれて…。一緒に組んだ時は保坂さんが試合をリードしてくれました。
当時は若かったので、ハードコアとかでもめちゃくちゃにしてやろうかなと暴走しても、保坂さんがうまくなだめて試合として成立させてくれたんですよ。
試合後でも「あれはやめとけよ」とか「こうした方がいいんじゃない」とアドバイスしてくれて…本当にいい先輩でしたね。
――マンモス選手にとって保坂さんは手綱を握ってくれた方だったんですね。
マンモス:本当にそうですよ。実力はあるのに、自分が前に出ないんですよ。保坂さんと出逢ったことは本当に大きすぎましたね。色々と勉強になりました。
――その言葉は、天国にいる保坂さんも喜んでいると思いますよ。ちなみに2000年に本名の佐々木嘉則から、マンモス佐々木に改名しているんですよね。
マンモス:確か新人時代に冬木軍興行で、マンモス佐々木というリングネームで上がっているんですよ。それで改名した後にシングルマッチ何番勝負とかで、ハヤブサさんと闘ったんですよ。
――その話を聞きたかったんですよ。2000年9月17日ディファ有明大会で、マンモス選手は団体のエースであるハヤブサさんと初の一騎打ちを行い健闘されましたが、敗れています。実際に対戦してみて、ハヤブサさんはどんなプロレスラーでしたか?
マンモス:ハヤブサさんは他のレスラーとは手数の多さと間の取り方が違うなと感じました。
――それは他の選手と比べた場合、どのように違うんですか?
マンモス:グラウンドにしても腕や足の取り方とかも多彩なんですよ。基礎という引き出しをバンバン出されて、圧倒されましたね。ハヤブサさんの基本的なテクニックに全然追いつけないんですよ。ハヤブサさんとの一戦はファンクスと対戦した時よりも、自分はまだまだ実力が足りてないなと感じましたね。
――ハヤブサさんといえば、数々の華麗な空中殺法を得意にしていますが、基礎のレスリングの攻防においてもかなりの実力者だったんですね。
マンモス:凄かったですよ。多分、ハヤブサさんは全日本プロレスに継続参戦していた時にレスリングスキルを磨かれたのではないでしょうか。
――ハヤブサさんは全日本ではみちのくプロレスの新崎人生さんとのコンビで「世界最強タッグ決定リーグ戦」にエントリーしたり、世界トップクラスの選手たちと闘って、経験を積まれて、そこからプロレスラーとして実力が向上されたのかもしれないですね。ちなみにハヤブサさんの間の使い方というのはどのようなものだったんですか?
マンモス:ハヤブサさんが常に試合の主導権を握っていて、自分が攻めるにしても、受けるにしても自分の間でやられていて、実際に試合をしても動かされているような感覚はありましたね。
ハヤブサさんと闘った後に「あの人の後を追っかけてもしょうがない。自分なりのレスラー像を作らないといけない」と感じました。