――プロレスラーである前にひとりの人間として森嶋さんはどんな方でしたか?

マンモス:無垢な人って感じですね。最後にああいう形になったじゃないですか。(森嶋は全日本離脱後に2000年のプロレスリングノア旗揚げに参加。GHCヘビー級王座を三度戴冠を果たしたトップレスラーになるも、2015年に引退⦅団体は引退ではなく退団を発表している⦆。その後紆余曲折を経て、2018年7月に復帰を決意するも、同年11月に傷害の疑いで現行犯逮捕され、復帰の話は白紙となった)

――そうですね。色々とありました。

マンモス:今後はまた復帰されるのか、どうなるのかはわかりませんが、高校卒業してすぐにプロレスラーになって、その世界でずっと生きてきて、いざ一般社会に出た時に森嶋さんは「酷」に感じて、辛かったんじゃないのかなと思うんです。

――プロレスという業界でこそ、森嶋さんは生きられる方なのかもしれないですね。

マンモス:だって森嶋さんはプロレス界の逸材じゃないですか。

――確かにそうですね。あれだけデカくて、技も豊富でテクニックもある。しっかり動けて、プロレスが上手くて、受け身も取れるレスラーってなかなかいないですよね。

マンモス:タッパ(身長)があって、横もあるというレスラーはいないですね。

――マンモス選手と森嶋さんは、2006年7月22日にディファ有明で行わらたプロレスリング・ノアの若手興行「SEM」で二度目の一騎打ちを行っています。この時はどうだったんですか?

マンモス:面白かったんですよ。確か西永(秀一)さんがレフェリーしてくれて、凄い自由にやらせていただきました。ハードコアマッチみたいになって、森嶋さんからイスに座らされてからのヒップアタックとか食らいましたね(笑)。

それで聞くと三沢(光晴)さんが会場の上でこの試合を見ていたそうで、笑ってたそうなんです。びっくりしましたよ(笑)。早くこの会場から去ろうと思いましたよ。怒っているなら、ディファ有明の裏口から出て、運河を泳いで帰ってましたよ(笑)。

――ハハハ(笑)。三沢さん、「SEM」では会場の上から試合を見ていたんですよ。もし怒っていたのならば、直接言われていると思いますので、大丈夫じゃないでしょうか。三沢さんから見ても、面白い試合だったと思います。

マンモス:僕にとって森嶋さんはもう一度闘いたいと思えるレスラーなんです。何回でもやりたいと思える相手。だから復帰してほしいなと期待しているんです。だからちゃんと反省してほしいですね。
第2回 後編に続く

<インフォメーション>
マンモス佐々木選手が所属するプロレスリングFREEDOMSの日程等、詳細はプロレスリングFREEDOMS Webサイトをご覧ください

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写真提供/プロレスリングFREEDOMS

取材・文/ジャスト日本
ジャスト日本 Twitter

【ジャスト日本】 プロレスやエンタメを中心にさまざまなジャンルの記事を執筆。2019年からなんば紅鶴にて「プロレストーキング・ブルース」を開催するほか、ブログやnoteなどで情報発信を続ける。著書に『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.1』『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.2』『インディペンデント・ブルース』

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