――マンモス選手は、新人レスラーながら、1998年に大仁田さんが率いるチーム0というユニットに入っていましたよね。
マンモス:そうなんです。その時は大仁田さんの付き人だったんです。
――確か、ブリーフ・ブラザーズに対抗して「赤フン兄弟」とかやってましたよね。
マンモス:ありましたね(笑)。CDデビューもしているんですよ。しかも、作詞が秋元康さんで、作曲が後藤次利さんの黄金コンビですよ。本当に無駄遣いですよ(笑)。
(※実は、大仁田厚が率いる赤フン兄弟は、「なんじゃ!」というユニット名で、「ロンリーバス」という曲で徳間ジャパンコミュニケーションズからCDデビューしている)
ーー秋元さんと後藤さんのコンビはとんねるずの楽曲を手掛けて大ヒットを飛ばした名タッグですよ。
マンモス:実は当時、とんねるずさんが野猿で大人気の頃で、野猿の次に秋元さんと後藤さんが手掛けたのが「なんじゃ!」だったんです(笑)。
もう忘れもしませんけど、新宿のHMVでCD発売ライブをやったんですよ。振付師のラッキィ池田さんもいて一緒に踊ることになって、それでCDがかかって歌は口パクでやるということになったんですよ。
大仁田さんの横でいて、歌いだしも前に踊りを間違ってしまって、反対側に回っちゃったんですよ。すると大仁田さんが「間違っているよ。ちゃんと合わせて回れよ」と僕に突っ込んでいたら、舞台では曲がずっと流れていて、口パクがバレたんです(笑)。
――ハハハ(笑)。それはやっちゃいましたね!ちなみにお客さんはどれくらいいたのですか?
マンモス:結構いましたね。100人くらいいたかもしれないです。口パクがバレた時、店内は爆笑でしたよ(笑)。
――確かこの時期、FMWはスーパーインディーやデスマッチ路線からエンターテインメントプロレスに移行していきます。こちらについて当事者としてどのように感じていましたか?
マンモス:ディレクTV(主に北中南米地域で活動している衛星放送。1990年代後半に日本でも進出していた)と契約したわけですが、アメリカナイズされたものをリングに取り入れていくのかなと新人ながら感じていました。
エンターテインメントプロレスに変わりましたけど、ハードコアをやらせてもらったので、それがなかったら「うーん」と思っていたかもしれないですね。
――FMWはエンターテインメントプロレスを突き進みながらも、ハードコア路線もバンバンやっていて、金村キンタローさんもハードコアで頑張ってましたからね。
マンモス:だからそれを逆手にとってテレビ向けのハードコアをやれないかなと考えて、ロージー(アルマゲドン2号/マティ・サムゥ)を後楽園ホールのエレベーターに閉じ込めて1階のボタンを押したことがありましたね。
それで保坂秀樹さんとジャマール(アルマゲドン1号/エディ・ファトゥ)を二人かがりで攻撃して3カウントを取って(笑)。あれはしてやったりでしたよ!
(第1回終了)
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取材・文/ジャスト日本
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【ジャスト日本】 プロレスやエンタメを中心にさまざまなジャンルの記事を執筆。2019年からなんば紅鶴にて「プロレストーキング・ブルース」を開催するほか、ブログやnoteなどで情報発信を続ける。著書に『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.1』『俺達が愛するプロレスラー劇場Vol.2』『インディペンデント・ブルース』