【パラカヌー 小松沙季】私がカヌー選手として活動することで車椅子や障害を持つ人が挑戦できる環境が整うのではないか(後編)

今年3月から本格的なトレーニングを開始し、東京パラリンピックカヌー日本代表になった小松沙季選手。前編では東京パラリンピックを振り返って頂いた。後編は生い立ちから今後の活動について話を伺いました。

前編はこちら

――小松選手は幼い頃、どんな子供でしたか?

小松沙季(以下 小松):小学2年生からバレーボールを始めました。それまでは全然運動ができるタイプの子供ではなかったですし人前に出るのも苦手でしたね。小さい頃は母親と一緒にいろいろな場所に遊びに行きましたがスポーツをしていた記憶はないです(苦笑)。

――色々な場所に顔を出していたら人見知りではなかったのでは?

小松:人見知りでした。バレーボールでコートの中で大きな声をかけなければいけないシーンがあります。特にキャプテンになると他の子に声をかけなければいけないのですが苦手でした。その人に向かって声をかけられずネットに向かって声をかけてました(苦笑)。

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――応援していても選手から視線をそらす感じだったのですね(笑)。

小松:人見知りというか「恥ずかしがり」でしたね。バレーボールは社会人まで続けていましたが、だんだん慣れていきました。前回大会で優勝した場合、キャプテンだと選手宣誓や挨拶など先頭を切って言わなければいけません。そういう中でだんだん鍛えられていきました(笑)。

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――キャプテンをしていたのは、いつの時代ですか?

小松:キャプテンだったのは小学と高校時代です。大学は副キャプテンでした。中学は転校したこともありキャプテンなどの肩書きはありませんでしたね。でも中学生までは得点が決まっても「わぁ〜」と喜べるタイプではなかったです。自分では喜んでいるつもりでいるのですが、周りから見ると「そんなに喜んでないね」とよく言われていました(笑)。得点を決めてもクールな感じに見られていましたね。

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