――逃げるんですか。そんな環境の中でプロレスをして日本に戻ってきてどう感じましたか?
吉村:アメリカに馴染むスタイルを自分なりに模索して戦っていました。帰国しDDTでは日本のスタイルに自分を合わせなければいけない。迷いながらリングに上がっていた。だから試合で怪我をしましたね。
――やはりアメリカと日本、スタイルが違うのですか?
吉村:「違う」って自分の中で勝手に思っていました。それも良くなかったんでしょうね。勝手に自分の中で「日本のスタイルに合わせなければ」と考えていたから、少しずつ色々なものがズレていたことに気付かずリング上で「怪我」という形で出たと思います。2018年12月、佐々木大輔さんとの試合で左半身動かなくなりました。
――頚椎捻挫で緊急搬送されました。かなり危険な状態ですよね。
吉村:でも病院に運ばれた時、首は固めていたけど立って歩けた。病院から「立って歩けるから帰れますよ」と言われたけど、さすがに怖いので数日入院させてもらいました(苦笑)。復帰後、DISASTER BOXに加入し、上野選手とノーチラスを結成しました。
【DDTプロレス 上野勇希】DDT UNIVERSAL王者としての責任
――2020年1月からノーチラスでKO-Dタッグ王者に輝き7度の防衛に成功しました。昨年10月後楽園、史上初KO-D6人タッグとKO-Dタッグのタイトルマッチが2試合連続で行われたのが印象に残っています。あの試合、KO-D6人タッグは挑戦者としてEruptionに挑み、KO-Dタッグは王者として坂口征夫選手と樋口和貞選手を迎え討ちました。KO-D6人タッグ戦で上野選手が坂口選手に胴締めスリーパーでレフェリーストップ負け。インターバルを置かずにKO-Dタッグ戦が始まり驚きました。
吉村:あの試合、負けているので何とも言えないけど…楽しかった気がします。タイトルマッチ2試合連続もなかなか経験できないと思うし(笑)。KO-D6人タッグが終わって、改めてKO-Dタッグのコールを受ける予定でした。ただ上野さんが「(コール前に)行こう」と。「上野さんが行こう」と言っているから大丈夫だと信じてEruptionに奇襲を仕掛けました。