【DDTプロレス 吉村直巳(2)】HARASHIMAさんとベルトを巻くことに意味がある

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――2017年は若手中心のプロジェクトDNAで活躍されていました。

吉村:僕がDNAで活動していた時は他団体の先輩たちと戦うことが少なくなってきてDNA内で競う方が大きかったと思います。やっぱり「樋口和貞一強」の印象が強い。DNAの一期生の勝俣瞬馬さんは樋口さんを激しく意識していたし、その後MAOさんや渡瀬瑞基さん、そして島谷常寛さんと下村大樹さんが続き、その下が僕や上野勇希さん。年齢やキャリアも近いからみんなで競い合っていたと思います。ただこの頃は楽しんでいたけど余裕がない時期でしたね。

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――余裕が出てきたのは、いつぐらいですか?

吉村:(少し考えて…)2019年、上野さんとノーチラスを組んだ時ですね。

――2018年7月にDNAが休止して、吉村選手は海外に渡り約12団体・60試合を経験されたと伺いました。そこで気持ちが強くなり余裕が出たのかと思っていました。

吉村:確かにそうかもしれないですね。激しい時期でDNAを解散してアメリカに武者修行、帰国して怪我。そして復帰して上野さんとタッグ結成…とにかく密度の濃い時間を過ごしました。

――海外に行った経緯を教えて頂けますか。

吉村:最初は「DNA解散するしアメリカに行こうかな?」という軽い気持ちでしたね。1人で行って、結果的に向こうでレッカと合流しました。DDTに上がっていた海外の選手に連絡して「試合を組んでもらえないか?」と相談しました。

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――自分自身で交渉したのですか?

吉村:そうです。当時は海外で試合ができるだけで有り難かった。ただギャラの交渉は一切しませんでしたね。

――えっ、それで万が一怪我をしてしまったら…

吉村:そしたら運がなかったんだと諦めます。

――海外は日本と違い保険制度もしっかりしていませんよ。

吉村:確かに(笑)。今思えば何もわからなかったからこそ出来たことですね。向こうには3ヶ月いました。ブッキングしていた選手が来なくて急遽1試合増えたり、途中でレフェリーが逃げたりもありましたね。

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